ジョージ・オーウェルのエッセイに「イギリス風殺人の衰退」というものがある。「近ごろはおもしろい殺人がてんでないみたいだ」という日曜新聞の読者の嘆きを、ウィットを利かせて「分析」したものだ。
英国人が好む殺人もの。それはどういう種類の殺人か。イギリスの大衆が楽しみ、事件のあらましをほとんど誰もが知っており、小説になったり、日曜新聞が何度も蒸し返したり焼き直したりしてきた殺人とは……そこにはある種の類似性が認められる。
「風雲に耐えて評判を維持したきた人殺し」とは……ルージリーのドクター・パーマー、切り裂きジャック、ニール・クリーム、ミセス・メイブリック、ドクター・クリッピン、セドン、スミス・アームストロング、バイウォーターズとトムソン……。
殺人犯は平凡な知識階層の人間、たとえば歯医者や事務弁護士でなくてはならない。郊外のどこかでひどくとりすました生活を送っており、住居は二軒住宅であることが望ましい。そうすれば隣の住人が壁越しに怪しい物音を聞けるからである。
彼はまた保守党の地方支部長をしているか、あるいは指導的な非国教徒であり強固な禁酒運動の提唱者でなければならない。自分の秘書もしくは商売がたきの妻にやましい情熱を覚えたために迷いを生じ、良心との長く激しい格闘のあとにようやく殺人に踏み切ることをしなくてはいけない。いったん殺人を決意するときわめて巧妙な計画を立て、どこか小さな思いがけないところでつまずかなくてはならない。
もちろん選ばれる方法は毒殺でなければならない。
ジョージ・オーウェル「イギリス風殺人の衰退」p.247
ところが最近巷を賑わせている殺人事件は違う。「非のうちどころのない英国風の殺人」とは無縁のものだ。それらは、アメリカナイズされているのだ。アメリカ人脱走兵と18歳イギリス娘による「割れあご殺人」などその最たるもので、オーウェルに言わせると、アメリカ映画の誤った価値観が露出した、いやしむべきあさましい殺人なのだ。
近年においてもっとも話題をにぎわせたイギリスの殺人(=割れあご事件)が、アメリカ人とアメリカ人化したイギリス娘の犯行だということは、意味深長なことなのかもしれない。しかしこの事件が、古い家庭的な毒殺劇ほど長く記憶されるとは信じにくい。
そうした毒殺劇というものは安定した社会の所産なのであった。それは何かにつけ偽善が幅をきかせる社会であったが、少なくともそのおかげで、殺人のような重大犯罪には必ず激しい感情が動機として伴うということになったのである。
ジョージ・オーウェル「イギリス風殺人の衰退」p.250
- 作者: ジョージオーウェル,川端康雄,George Orwell
- 出版社/メーカー: 平凡社
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