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グレアム・ヤング毒殺日記




タリウムと言えば、アガサ・クリスティの某作品とグレアム・ヤング(Graham Young)を思い出す。

私が言っているのは1961年発行の『蒼ざめた馬』のことだが、刊行当時、これはそれまでの諸作とまったく変わるところのない賛辞を得た──「輝かしい独創性」(ヴァイオレット・グランド、《デイリー・テレグラフ》)というのが書評家の代表的見解だった。


それから11年後、大量毒殺者グレアム・ヤングの陰惨な事件が大見出しつきで書きたてられるとともに、『蒼ざめた馬』は大ざっぱな、だが情け容赦ない批評の目にさらされる。現実の毒殺者と作中の犯人の手口がおそろしいほど似通っていることが、多数の人々──ジャーナリストも一般市民もまじえて──から指摘された。《デイリー・メール》にいたっては、二つの事件の相似点をそれこそ微に入り細をうがって拾い出したうえ、作中の犯人を指して、”さる先輩探偵”に「これぞまさしくヤングだ」と言わせている。


最近の凶行と10年以上前に著した本の筋とのこの慄然とするような類似性にアガサ・クリスティーは「当然取り乱して」いると伝えられた──ヤングの書棚に「毒薬の参考書がぎっしり詰めこまれて」いたことを知っていたら、彼女もあるいは気をとりなおしたかもしれないが。彼女がヤングに教えてやれることはもうほとんど何もなかったはずである。




シリア・フレムリン「誰もが知っていたクリスティ」
H・R・F・キーティング他編『アガサ・クリスティー読本』(早川書房)より p.109


[グレアム=フレドリック・ヤングについて]

彼は手に入れられるかぎりの法医学関係の研究所を読みふけり、複雑な細部についてもよく憶えていて、その記憶力は驚異的だった。彼が何度も読み返した本を二冊あげると、一つは有名な犯罪事件を概説した標準的な判例集『有名な六十の裁判』で、もう一つはジョン・ローランド著『被告席の毒殺魔』で、とくに後者は彼のお気に入りの愛読書だった。一九六〇年、ヤングがまだ十二歳のときに出版されたこの本は十二章に分かれていて、それぞれが致命的な毒薬を扱っている。

結論の章ではいささか皮相ではあるが、「毒殺魔の心理」を抽出しようとする試みが見られる。ヤングはパーマーとクリッペンの章をとくに好み、彼の英雄ギャラリーではヒトラーと並べられるほどの熱の入れようだった。だが、なによりも彼を興奮させたのは第二章で、アンチモンあるいは──ヤングにならって正確な呼び名をあげれば──酒石酸アンチモンカリウムを扱った章だった。
この章には、自分の妻と母親をアンチモンで毒殺した一九世紀のグラスゴウの物理学者エドワード・ウィリアム博士が登場する。




アンソニーホールデングレアム・ヤング毒殺日記』(高橋啓 訳、飛鳥新社)p.23

彼はこの時点で、アンチモンのストックに砒素、ジギタリストリカブトのエキス、そして──これらの薬品のうちもっとも毒性が強く、希少で、彼の究極のお気に入りとなる──タリウムを加えていた。




p.34

グレアム・ヤング 毒殺日記

グレアム・ヤング 毒殺日記

ハーヴェイとヤングが次に対面したのは、翌日の11月23日火曜だった。ヤングはことさら悔い改めたようには見えなかった。ハーヴェイは彼に煙草をすすめた。「よく眠れたかね」と彼は尋ねた。「ええ、おかげさまでぐっすりと」とヤングは答えた。
「ところで」と彼は警視正に質問した。「オスカー・ワイルドの『レディング監獄の歌(バラード)』は知っていますか」。警視正は学生時代に習ったことは覚えているが、細かいことは何も覚えていないと答えた。ヤングはその一節を朗誦しはじめた。

だが人は誰も愛するものを殺す、
誰もがこのことを聞きおくがいい。
ある者は苦渋の色を浮かべ、
ある者はお世辞を並べつつ。
臆病者は接吻によりて
勇者は剣によりて愛するものを殺す。

「たぶん」とヤングは言った。「ぼくの場合はキスで殺したのかもしれません」




アンソニーホールデングレアム・ヤング毒殺日記』p.157-158

このアンソニーホールデンの著書はベンジャミン・ロス監督によって映画化されている。原題『The Young Poisoner's Handbook』。

Starring: Roger Lloyd Pack, Ruth Sheen, Antony Sher, Charlotte Coleman, Hugh O'Conor Directed by: Benjamin Ross

で、この映画について検索したら、以前僕が書いた文章にぶちあたった。今読むと、相変わらず言いたい放題書いているが、他人事のように引用しておこう。

まず、グレアム・ヤング本人について書いておこう。グレアム・ヤング(Graham Young 、本によってはグラハム・ヤングと表記)は英国生まれ、幼いころから毒薬に魅了され、化学や薬学に関する本を読みまくり、様々な実験を行っていた。彼の「実験」はエスカレートし、彼の家族や友人が次々に体調を崩し始める。
まさにアンファン・テリブル
そして遂に継母が死亡。彼の「実験」が発覚し、これによってグレアムはブロードモア精神病院に送られる。このとき彼はまだ14歳。10年後、特別な治療により退院、写真会社に勤めるが、そこで同僚二人を毒殺、さらに他六人も毒殺しようとした殺人未遂で逮捕される。彼は熱心なヒトラーマニアだったと言う。
冷酷な殺人者にもかからわず、グレアム・ヤングは(映画になるほど)愛されている。

ウィンブルドン市立図書館には、グレアム・ヤング事件を扱った本が四冊もあった。その一冊──ハークネスという男が書いたもの──は四百ページの長さで、二十四枚の白黒写真と、三つの付録と、いくつかの地図と図表がついていた。それは作曲家のアントニン・ドボルザークの標準的伝記より八十ページ長く、ロンメル北アフリカ作戦に関する歴史的記述の決定版より、わずか七十ページ短いだけだった。”



ナイジェル・ウィリアムズ『ウィンブルドンの毒殺魔』(早川書房


グレアムがこれほどまでに「愛される」のは、彼が大英帝国伝統の殺人方法、つまり最もエレガントな殺人方法である「毒殺」を行ったからだろう。英国人はこういった穏やかでノスタルジックな殺人を好む。事実、アガサ・クリスティの小説で最も利用される殺人方法は毒殺だし、ジョージ・オーウェルも「イギリス風殺人の衰退」と言うエッセイで「非のうちどころのない」殺人は「もちろん選ばれる方法は毒殺でなければならない」と書いている。
また彼の風貌も、アメリカの粗雑なヒッピー然としたシリアル・キラーと違って、スーツを着込み、髪をきちんと撫でたジェントルマンタイプである。ルックスもハンサムと言ってよい。


[The Young Poisoner's Handbook]

"The Young Poisoner's Handbook" is helped enormously by the wide-eyed intensity of Hugh O'Conor, who played the young Christy Brown in "My Left Foot." Mr. O'Conor's impeccable politeness and complete lack of smug superiority make Young the nicest killer ever to brandish a box of chocolates or a cup of tea. The crazy idealism of this performance even turns Young into an understandable being, someone who saw the world abstractly because he wasn't equipped to see it any other way. The real Young, with Nazi predilections, was considerably less palatable, but then taking liberties is what "The Young Poisoner's Handbook" is about.