HODGE'S PARROT

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アーサー・ブリス 《メレ幻想曲》《チェックメイト》



アーノルド・バックスの後を引き継ぎ「王室音楽監督Master of the Queen's Music)」に就任したブリティッシュ・コンポーザー、アーサー・ブリス(Arthur Bliss、1891 - 1975)。彼の代表的管弦楽作品、《メレ幻想曲》とバレエ音楽チェックメイト》を聴く。
演奏は、デーヴィッド・ロイド=ジョーンズ指揮ロイヤル・スコティッシュ管弦楽団

Checkmate

Checkmate


わざわざ「ブリティッシュ・コンポーザー」と記したのはわけがある。というのもブリスは、ニュー・イングランド出身のアメリカ人の父親とアマチュア・ピアニストであった英国人の母親との間にロンドンで生まれたからだ。教育はイギリスで受け、あのラグビー校を経てケンブリッジ大学ペンブルック・カレッジ(Pembroke College)に進む。誰が何と言おうと英国紳士だ。
その後、やはり名門校である王立音楽大学(Royal College of Music)でチャールズ・ヴィリアーズ・スタンフォードに学ぶのだが、1914年に学業を中断する。第一次世界大戦が勃発し、ブリスは従軍するのだ──もちろん英軍(Royal Fusiliers)にである。

フランスで負傷したブリスは、イギリスに戻り、士官候補生のインストラクターを務める。ピアノ四重奏曲はこの時期の作品で、ロンドンにおける「War Emergencies Concert」で初演された。この戦争でブリスは兄弟を亡くしている。
(このブリスの経歴を読んでいて、そういえば19世紀の作曲家には、従軍といったエピソードが希薄なのに気づく。戦争はもちろんあるのだが、例えば《軍隊行進曲》を書いたベートーヴェンシューベルトは入隊経験はあるのだろうかと。20世紀の作曲家や音楽家にとっては「自身の」戦争体験は切り離せない。第一次世界大戦では、ジョージ・バターワースが「ソンムの戦い」で戦死している)


《メレ幻想曲(Mêlée Fantasque)》は戦後の1921年に作曲された。当時のモダニズムを取り入れた音楽で、ディアギレフのバレエ・リュスの公演とストラヴィンスキーの音楽の影響があるのだという。快活で色彩豊かな好作だ。

チェックメイト(Checkmate)》は1936-7年の作品。チェスの「王手詰め」という盤面の戦いを描いたバレエ音楽であるが、やはり作曲時期に目が行ってしまう。解説を読むと、

De Valois’ choreography combined classical steps, English traditional dance like Morris, as well as the sinister goose-steps of the Nazis which inevitably linked the ballet’s subject to the mood of the times when war clouds were gathering.

とあるように、当時の振り付けでは、イギリスの伝統的なステップとナチスの「グースステップ」(足をまっすぐに伸ばして行進するあれ)を対比させていたようだ。


プロローグの「指し手」(The Players)から始まり、「赤のポーン」(Red Pawns)、「4人の騎士」(Four Knights)、「黒の女王」(Black Queen)、「赤のキング」(Red King)などの「キャラクター」が登場し、「攻撃」(The Attack)あり「決闘」(The Duel)あり、と音楽は力強く、覇気を漲らせ、劇的に盛り上がる。手に汗握る戦いだ。そして勝利へ──It is Checkmate!

アメリカ人を父に持つ「half-American」アーサー・ブリスはイギリスを相当に鼓舞してくれたことだろう。