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アルウィン 《天使の歌》と《壺葬論》



イギリスの作曲家、ウィリアム・アルウィン(William Alwyn、1905-1985)の交響曲と協奏曲のCD。演奏は、スザンヌ・ウィリソン(ハープ)、デーヴィッド・ロイド=ジョーンズ指揮、ロイヤル・リヴァプールフィルハーモニー管弦楽団

Symphonies 2 & 5

Symphonies 2 & 5


アルウィンは映画音楽の作曲家として有名かもしれない。ウィキペディアを見ると(こちらの表記はウィリアム・オルウィンだ)、

1941年から1962年までに70以上の映画音楽を手がけ、主な作品には「邪魔者は殺せ」(1947)、「落ちた偶像」(1948)、「真紅の盗賊」(1952)、「黒い天幕」(1956)、「SOSタイタニック/忘れえぬ夜」(1958)、「南海漂流」(1960)、「砂漠の勝利」などがある。

とある。どれも観たことがないし、これらの音楽も聴いていないのだが、なんとなく物々しいサスペンス・スリラーのようなタイトルが並んでいる。それにしても70以上も映画音楽を書いているというのが凄い。

[William Alwyn(IMDb)]

では彼の「クラシック音楽」はどうか。
なんと言っても《天使の歌/Lyra Angelica》というロマンティックなタイトルを持つ「ハープと弦楽合奏のための協奏曲」が素晴らしい。どこか物悲しさを宿しながらも、優しく、情感豊かな音楽に耳を奪われる。弦楽とハープという編成は、マーラー交響曲第5番の第4楽章「アダージェット」を思い浮かべるが、それと似た耽美的な雰囲気が感じられる一方、しかし独特の「暗い」色調が異彩を放っている──それは憂愁、という言葉がしっくりとくるだろうか。格調高く、そして詩的である。

解説によると、《天使の歌》は、17世紀の形而上詩人(metaphysical poets)ジャイルズ・フレッチャー(Giles Fletcher)の詩にインスパイアされたのだという。
以下が各楽章に添えられたフレッチャーのテクストだ。

  1. I looke for angel’s songs, and hear him crie.
  2. Ah! Who was He such pretious perils found?
  3. And yet, how can I let Thee singing goe, When men incens’d with hate Thy death foreset?
  4. How can such joy as this want words to speake?

ちなみにCDのカヴァージャケットは、ラファエル前派の画家で詩人でもあったダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(Dante Gabriel Rossetti)の『The Harp Player, a study of Annie Miller』という作品。ハープ奏者の、どことなく憂いを帯びた表情が、アルウィンの音楽と響きあう。


ハープというとフランス系の作曲家を思い浮かべるが、このアルウィンの作品を聴いた後では、某フランス作曲家なんか、あの煌びやかさが軽薄に思えてしまう。僕は「ドイツ音楽至上主義者」であるが、もし、あえてドイツ音楽のオータナティブ探すのであれば、それはフランス音楽などでは決してなく、イギリス音楽からであると言いたい。


収録曲は他に交響曲が二曲。第2番(1953年)と第5番(1973)。20世紀後半にシンフォニーを書くだけあって、さすがに、構成が凝っている。といっても「前衛」ではなくて、ダークラインに縁取られた後期ロマン派という感じだろうか。重厚で、荘重で、劇的で、シリアスな内容を持っている。
とくに第5番は、宗教的・哲学的著述を数多く記した医者、トーマス・ブラウン卿(Thomas Browne)の『壺葬論』(Hydriotaphia, Urn Burial)に基づく厳粛な葬送の音楽で、弔鐘(チューブラ・ベル)が哀切に鳴り響く。圧巻だ。


[Hydriotaphia, Urn Burial (1658)]


ところで『壺葬論』は、帯によると、夏目漱石の『三四郎』で引用されているのだという。それで今やっと──そう、やっと『三四郎』を探し出したので、これから確認しようと思う、その部分を引用してみよう。

「寂寞の罌栗花を散らすやしきなり。人の記念に対しては、永劫に値するといなとを問うことなし」という句が目についた。先生は安心して柔術の学士と談話をつづける。
──中学教師などの生活状況を聞いてみると、みな気の毒なものばかりのようだが、真に気の毒と思うのは当人だけである。なぜかというと、現代人は事実を好むが、事実に伴う情操は切り捨てる習慣である。切り捨てなければならないほど世間が切迫しているのだからしかたがない。その証拠には新聞を見るとわかる。新聞の社会記事は十の九まで悲劇である。けれども我々はこの悲劇を悲劇として味わう余裕がない。ただ事実の報道として読むだけである。自分の取る新聞などは、死人何十人と題して、一日に変死した人間の年齢、戸籍、死因を六号活字で一行ずつに書くことがある。簡潔明瞭の極である。また泥棒早見という欄があって、どこへどんな泥棒がはいったか、一目にわかるように泥棒がかたまっている。これも至極便利である。すべてが、この調子と思わなくちゃいけない。辞職もそのとおり。当人には悲劇に近いでき事かもしれないが、他人にはそれほど痛切な感じを与えないと覚悟しなければなるまい。そのつもりで運動したらよかろう。
「だって先生くらい余裕があるなら、少しは痛切に感じてもよさそうなものだが」と柔術の男がまじめな顔をして言った。



(中略)



「朽ちざる墓に眠り、伝わる事に生き、知らるる名に残り、しからずば滄桑の変に任せて、後の世に存せんと思う事、昔より人の願いなり。この願いのかなえるとき、人は天国にあり。されども真なる信仰の教法よりみれば、この願いもこの満足も無きがごとくにはかなきものなり。
生きるとは、再び我に帰るの意にして、再の我に帰るとは、願いにもあらず、望みもあらず、気高き信者の見たるあからさまなる事実なれば、聖徒イノセントの墓地に横たわるは、なおエジプトの砂中にうずまるがごとし。常任の我身を観じ喜べば、六尺の狭きもアドリエーナスの大廟と異なる所あらず、成るがままに成るとのみ覚悟せよ」


これはハイドリオタフヒア(壺葬論)の末節である。三四郎はぶらぶら白山の方へ歩きながら、往来の中で、この一節を読んだ。





夏目漱石三四郎』(角川文庫) p.213-214


Selected Writings of Sir Thomas Browne (Fyfield Books)

Selected Writings of Sir Thomas Browne (Fyfield Books)


なんだか興味をそそる。和訳が松柏社から『医師の信仰・壺葬論』(asin:4881988956)として出ているので、機会があったら読んでみたい。以下の三四郎のような気分で。

三四郎は返そうと思って、持ってきたハイドリオタフヒアを出して読み始めた。ぽつぽつ拾い読みをする。なかなかわからない。墓の中に花を投げることが書いてある。ローマ人は薔薇を affect すると書いてある。なんの意味だかよく知らないが、おおかた好むとでも訳するんだろうと思った。ギリシア人は Amaranth を用いると書いてある。これも明瞭でない。しかし花の名には違いない。それから少しさきへ行くと、まるでわからなくなった。ページから目を離して先生を見た。まだ寝ている。なんでこんなむずかしい書物を自分に貸したものだろうと思った。それから、このむずかしい書物が、なぜわからないながらも、自分の興味をひくのだろうと思った。最後に広田先生は必竟ハイドリオタフヒアだと思った。





三四郎』 p.240