HODGE'S PARROT

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『愛の悪魔』 LOVE IS THE DEVIL /1998/イギリス 監督ジョン・メイブリー

フランシス・ベイコンの偏奇人体が与える印象は、白人のくんにゃりと柔らかい男根の手触りと色彩だ。ベイコンは自らのゲイ・セクシュアリティを、ロートレアモン『マルドロールの歌』にはじまるゲイ文学の脅迫的な肉片詩の系譜、切断的性欲の系譜で露出した。

滝本誠『きれいな猟奇』p.210(平凡社

イギリスの画家フランシス・ベイコンと彼のモデルであり愛人でもあったジョージ・ダイアーとの愛憎劇を中心に描いた、あまり歪んでいない多分とても忠実なベイコンの「ポートレイト」。ここでは、このイギリスを代表する偉大な画家は決して美化されていない。つまりエゴイスティックでサディスティック(「プレイ」では逆になるが)でオネエ。見事なまでに天才芸術家=変人という誰もが期待するステレオタイプなっている。

尤もこんなことはベイコン・ファン(僕もそうだ)ならある程度知っていることだし、この映画の「クライマックス」とも言えるジョージ・ダイアーが自殺したことも周知。だからこの映画を単に「ベイコンの」伝記的ストーリーを追うことに主眼に置くのは、個人的にものたりない。しかもこの映画には画家の作品がまったく登場しないし(あまりに忠実にベイコンを「いやなヤツ」として描いたために管理人にノーと言われたのだろうか)。

とするとこの映画の見所は、やっぱり、ジョージ・ダイアー役ダニエル・クレイグの憂いを帯びた男の色気だと言いたい。ちょっと古風なスーツを着たり脱いだり、やはり古風な下着をつけた姿はとてもそそられるし、芸術映画に対する映倫の働きかけなのか、彼の男根がチラっと見えたりもする。

もちろんこの翳のある「モデル」をこの映画の「俳優」として素晴らしく美的に映しているのが、この映画の功績の一つだと思う。奇怪なシュルレアリティックな映像、数々の凝ったショットは鮮やかに眼に焼き付き、まさに絵画的に素晴らしい。しかもベイコン作品のモチーフが映像にさりげなく組み込まれており、まったく目が離せない(挿入される坂本龍一の音楽もとても印象的だ)。

何と言ってもダイアーは画家に「殺されるため」に「モデル」になった男なのだ。有名な『鏡の中のジョージ・ダイアーの肖像』を見ればわかるように、「モデル」の顔は鏡の中で引裂かれている。『しゃがんでいるジョージ・ダイアーの肖像』では押し潰されている。『自転車に乗るジョージ・ダイアーの肖像』では死ぬほど身体が捻られている。「モデル」は画家の作品の中で何度も何度も殺されている。画家の「サディスティックな」振る舞いによって、徐々に高まってゆくダイアーの苦悩はまるでセクシュアルな痙攣のようだ。それはあっけなく爆発し、果てる。