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クラシックは危険 ボリス・ヴィアン



YouTubeボリス・ヴィアンBoris Vian の映像があった。フランス人でありながらアメリカ文化の熱狂的なファンであったボリス・ヴィアン──レイモンド・チャンドラーA・E・ヴァン・ヴォークトを仏訳したのは有名だろう。やっぱり英語しゃべっているよ!
Boris Vian



で、『うたかたの日々』(日々の泡)を取り出してみたら、解説が荒俣宏だった。ボリス・ヴィアンアメリカについて興味深い指摘をしている。

ボリス・ヴィアンアメリカの都市に謎めいた愛着を抱いた理由は、ひとえにその虚構性にあったと思われる。フランスに初めてビ・バップやパルプ雑誌のSFを紹介し、果てはアメリカ人の名をかたって黒人を主人公としたビート小説を自力で書きあげたとき、おそらくかれには、反現実の空間としてニューヨークしか残されていなかった。パリはすでに、アポリネールからブルトンに至る破壊の別動隊の手に落ちていたし、遠いミラノは未来派の夢の軌跡でしかなく、前衛芸術家とコミュニストがカフェに隣りあって座ったうたかたのウィーンも今や死に絶え、ドイツの都市には表現主義派とバウハウスの堅固な多面立体が並んでいた。
いや、それより何より、ヨーロッパのあらかたの都市は第二次世界大戦の精神的な真空状態にあったはずだ。そしてたぶん、フランスがとことんまで鼻にかけてきたフランス語とフランス文学を最後に真空化させるために、あの呪うべき俗物都市の文化をスキャンダラスに導入することは最高にダンディな方法だった。




荒俣宏「睡蓮が咲くまで……」(『うたかたの日々』解説より、早川書房)p.247-248

うたかたの日々 (ハヤカワepi文庫)

うたかたの日々 (ハヤカワepi文庫)



ヴィアンは、ジャズを愛し、ジャズ・トランペット奏者としても名を馳せた。

ヴィアンは、パリのサン・ジェルマン・デ・プレの「タブー(Tabou)」というクラブでよく演奏していた(現在、そのクラブは潰れてしまって存在しない)。当時、ヴィアンは詩の中でも「trompinette」と親しんで呼んでいたポケット・トランペットで演奏していた。


ヴィアンのもっとも有名なシャンソン作品は、インドシナ戦争中に作詞された反戦歌『脱走兵(Le deserteur)』(作曲:H.B.ベルグ Harold Bernard Berg)である。この歌はフランスの人々に広く愛唱されたが、当時ラジオでの放送禁止曲ともなった。




ボリス・ヴィアン [ウィキペディア]

Jazz & Trompinette

Jazz & Trompinette


ただ、ウィキペディアにも記されているように、ヴィアンはアメリカに憧れながらも生涯にわたってアメリカを訪れたことはなかったという。

1959年6月23日の朝、論争の的となっている映画化された『墓に唾をかけろ(J'irai cracher sur vos tombes)』の試写会のため、ヴィアンはシネマ・マルブッフの館内にいた。ヴィアンはプロデューサーと作品の解釈を巡り、何度も衝突してきた。そして、その日もエンドロールで流れる制作関係者名から自分の名を外したがったヴィアンは、この映画を公然と非難した。


映画が始まって数分後、伝えられるところによると、ヴィアンはこのように口を滑らせたと言われている。「こいつらはアメリカ人になったつもりなんだろうか? 馬鹿にしやがって!」



その直後、急な心臓発作に見舞われたヴィアンは座席に倒れ込み、病院へ搬送される途中に息を引き取った。僅か39歳での死であった。




ボリス・ヴィアン [ウィキペディア]

J' irai Cracher Sur Vos Tombes (Le Livre De Poche)

J' irai Cracher Sur Vos Tombes (Le Livre De Poche)



ところで、YouTube にはニコラ・サルコジ大統領の姿にボリス・ヴィアンの音楽を組み合わせた「mix映像」があった。というか、サルコジ大統領の映像からヴィアンの映像に辿りついたのだった。

Sarkozy au G8 boit systématiquement - Boris Vian Mix



フランス語なので何を言っているのかわからないけど、最後の「ABSOLUT HOPE」というのは理解した。何かしらの(反)意味があるのだろう。

L'Ecume Des Jours (Ldp Litterature) 「なんであんな軽蔑しているような目つきしてんのかしら」とクロエ。「あんなふうに働いたってあんまりいいことないはずなのにねえ」
「なあに、いいことがあるって言われているのさ」とコラン。「一般的に言うと悪くはないのさ。少なくとも誰も悪いとは思っちゃいない。習慣でやっているんだよ。それに誰もあまりそんなことを考えないんだ」


(中略)


「だけど労働するのはいいことだと思っているとしたら、間違いじゃないかしら」
「いや、そうは思わないよ。ただみんなから、”労働は神聖だ。実に美しい、いいもんだ”なんて言われているからさ、”労働者だけが全部のものに対して権利を持っているんだ”ってね。だけどうまくはめれらてしょっちゅう働かされているもんで、労働の果実を自分たちの自由にすることができないんだ」
「でも何よ、それじゃ馬鹿みたいじゃない」とクロエ。
「うん、馬鹿みたいだよ」とコラン。「だけどそういうわけだから、労働が世の中で一番いいものだと彼らに信じ込ませる奴らに反対しないんだ。考える必要や進歩しようと努力する必要や、これ以上働くまいと考える必要がなくなるからさ」




ボリス・ヴィアン『うたかたの日々』(伊東守男 訳、早川書房) p.92-93

『うたかたの日々』の主人公たちが言うように、ここでは仕事なぞしないのが一番。それでも仕事をやるのなら、せめて金かせぎのためにやりたいものだ。快楽のもととしての貨幣経済を平気で称賛したユートピスト、シャルル・フーリエにように。ヴィアンもきっとそう考えたに違いない。




荒俣宏「睡蓮が咲くまで……」p.248

<チャタヌガ・チューチュー>の演奏が聞こえてきた。あそこを出発する直前、その曲でジャクリーヌと踊った。時間があったら、彼女に返事を書いてやろう。
こんどはスパイク・ジョーンズだ。この曲も好きだ。早くすべてが終わって*1、青と黄色の縞のネクタイを買いに行きたい。




ボリス・ヴィアン「蟻」(『ボリス・ヴィアン全集〈7〉人狼 (1979年)』所収、長島良三 訳、早川書房)p.23

「猫のために、みんなで一緒に飲みましょうよ」と、街娼はいった。




ボリス・ヴィアン「黒猫のためのブルース」(『人狼』所収)p.191

Blues for a Black Cat & Other Stories (French Modernist Library Series)

Blues for a Black Cat & Other Stories (French Modernist Library Series)




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*1:戦争中で、語り手は前線にいる