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「帝王道の伝統を近代的に行ったまでのこと」



宮脇孝雄の『書斎の旅人 イギリス・ミステリ歴史散歩』を読み返していて、これはやっぱり名著だな、と改めて思った。イギリスの探偵小説について書かれていながら、いつのまにかイギリスの社会・文化全般の話になっていく──それともイギリス社会を論じながら、それが英国推理小説の話に凝縮されていく。そんなところだろうか。とにかくイギリスに関心がある人なら、読んで損はない、とても楽しめる本だ(文庫化希望)。

例えば第20章「1936年のゴシップ」。1929年に『僧正殺人事件』を発表したS.S.ヴァン・ダインと1953年に『長いお別れ』(ロング・グッドバイ)を発表したレイモンド・チャンドラーはどちらが年上か、という書き出しから、コナン・ドイルが1930年に亡くなったこと、そしてガイ・バージェスらのケンブリッジ・サーカスのスパイ事件に触れる。
そこで、ソビエト亡命後のバージェスの「本音」が伝えられる。曰く「ソビエトの生活に不満はないが、ただひとつ、ゴシップがないのだけは寂しい」と。

そこで、イギリス人のゴシップ好きの話になる。
1936年の最大の「スキャンダル」とは──「王冠を賭けた恋」として知られる英国王エドワード8世とアメリカ人女性ウォリス・シンプソンとのロマンスである。


→ エドワード8世 (イギリス王) [ウィキペディア]

一方で女性遍歴も派手で、貴族令嬢から芸能人まで交際相手は幅広かった。そんな中、アメリカ人女性、ウォリス・シンプソンとの交際が1931年頃から始まる。気さくな性格のプリンス・オブ・ウェールズにしてみれば、自由奔放で博識のウォリスの存在はあまりにも新鮮であった。しかし、ここで一つ問題が生じることとなった。ウォリスが離婚歴を持ち、また交際当時には再婚していたことであり、しかもプリンス・オブ・ウェールズが無理に離婚させて妃として迎え入れようとしたことであった。英国国教会首長も兼ねる連合王国国王になるプリンス・オブ・ウェールズに許されることではなく、連合王国の上から下までの人々のほとんどがこの交際と将来行われる成婚に反発した。ジョージ5世はこの問題に悩まされ、カンタベリー大主教コズモ・ラングと協議を重ねたが結論は見出せず、「自分が死ねば遠からず破滅する」と言い残した。

しかし……当時英国に留学していた松浦嘉一の『英国を視る』によれば、「エドワード八世の性格には大きな矛盾があった。イギリス人くらい矛盾の多い国民はあるまいとよくいわれるが、一面において<見だしなみ>(good manners)をやかましくいうくせに、多面<非公式>(informal)という大きな抜け道がある。これもシェイクスピアの『ヘンリ四世』と『ヘンリ五世』とに描かれた帝王道の伝統を近代的に行ったまでのことで、イギリス人としてな珍しいことでもない」*1なのだそうだ。
アメリカでは新聞が大々的な報道をし、カナダでは「もってのほかのスキャンダル」となった「シンプソン・クライシス」であるが、イギリス人は「ゴシップ」として捉えていた。この空前のゴシップにみな狂喜したのである。「帝王道の伝統を近代的に行った」という認識が行き渡っていたのである。

この出来事に関して、傾聴すべき意見を述べているのは、当時三十三歳の青年作家、イヴリン・ウォーである。名門出身のウォーは、ゴシップ・コラムに名前を出される常連であり、彼自身、ゴシップ・コラムニストでもあったので、この種の出来事には鋭い洞察力を発揮した。一月に即位したばかりの国王の退位がいよいよ本決まりになろうとしていた十二月八日、ウォーは日記にこう書いている。
「≪シンプソン・クライシス≫に全国民は喜んでいる。メイディーの病院では、成人患者全員の病状が快方に向かったそうだ。誰にとっても楽しめる、こんなにめでたいゴシップは、そうしょっちゅうあるものではない」




宮脇孝雄の『書斎の旅人』(早川書房) p.149

書斎の旅人―イギリス・ミステリ歴史散歩

書斎の旅人―イギリス・ミステリ歴史散歩

*1:『書斎の旅人』より孫引き