米軍のB-2 ステルス技術漏洩問題は、アメリカの「軍事革命理論」(RMA、Revolution in Military Affairs)と大いに関わってくるものだ。
ところで、この RMA に対する「問題提起」は、アントニオ・ネグリ&マイケル・ハートの著書『マルチチュード』(NHKブックス)でも大きく扱われている。「ネットワーク化する対反乱活動」としての問題、すなわち「戦争機械」の内部矛盾についてである。
さらにRMAは戦闘部隊の再編成だけでなく、新しい通信・情報技術を最大限に利用することによって、米軍にすべての同盟国および敵国に対する圧倒的な優位をもたらし、それらの国々との間に非対称な関係を築かせる必要がある。RMAによって合衆国の軍事作戦行動は、ほとんど他を寄せつけない空軍力の利用、海軍力を誘導ミサイルの補助使用、あらゆる可能な諜報活動の統合、通信・情報技術の最大限の利用をはじめとする新しい標準方式への移行を遂げる。
その関連でいえば、陸軍とその地上部隊は、空海軍に対して、そして何よりも低リスクでどんな標的も効果的に攻撃することを可能にする情報および諜報技術に対して、従属的な役割を果たすにすぎない。たいていの場合、地上部隊は初期戦闘には投入されず、空海軍と情報部を作戦上および技術的に協調させるという任務を与えられて、動きやすい小集団という形で配置される。
こうした枠組のなかで軍事作戦は、軍事力の「さまざまなシステムを統合したシステム」というべきものになったのだ。こうした新しい戦略や技術は、米軍兵士をあらゆる敵の脅威から守り、兵士にかかるリスクを事実上ゼロにして戦争を行うことを可能にすると想定されている。
RMAによって「戦争」は、技術的には「仮想的」なものとなり、軍事的には「非身体的」なものになる。そして米軍兵の身体はリスクから解放され、敵の戦闘員は目に見えないところで殺害される。
このような「繋ぎ目のない(シームレス)」一体化システムを「各種システムのシステム化(システム・オブ・システムズ)」と呼び、従来のように、おのおのの兵器プラットホーム(戦車や駆逐艦や戦闘機など)ではなく、ネットワークを基本として戦闘を行うために「ネットワーク・セントリック・ウォーフェア(ネットワーク中心の戦い)」などとも呼ばれる。
しかし、ネグリとハートは、この「RMA理論のエラー」を指摘する。彼らはその「理論」が、マキアヴェッリやクラウゼヴィッツらの古典的な戦術論と比べて後退していると看做す。そこには、身体や身体のもつ力という問題ばかりではなく、社会的な側面がそっくりと抜け落ちているからだ。
社会の防衛における共和主義的理想を賛美したマキアヴェッリは、戦闘では大砲より自由な人間のほうが重要だと考えた。これは一見、直感に反する考え方のようだが、ヴァリーフォージュ*1からヴァルミー*2、ディエン・ビエン・フー*3、ハバナ、アルジェにいたるまで、近代のあらゆる戦争や革命がその正しさを裏づけている。
同様にクラウゼヴィッツも、技術は兵士に対してまったく副次的なものであり、すべての軍隊は煎じ詰めれば武装したパルチザンの集団にほかならず、またこれが勝利にとって決定的な要素であるのは明白だと考えた。ポストモダン時代の技術戦略推進派の戦略家が夢見る、兵士の存在しない軍隊や身体の存在しない戦争は、戦争に従事する主体についてのこうした古典的な考え方と真向から対立する。
『マルチチュード』p.98-99
「軍事革命」(RMA)の理論は、戦争術に深刻な腐敗をもたらす。兵士のいない未来の戦争というイメージが、実際に戦争に携わっている「本物の兵士」たちに対する考慮を妨げているからだ。
本物の兵士=前線で危険を引き受けて戦う兵士。他の国々の兵士を寄せ集めた多様な集団としての「同盟軍」は、最終的には米軍の指揮下にある、いわば「アウトソーシング」された軍隊であり、さらに「民間の軍事請負業者」の問題、そして米軍の兵士自体が、主として合衆国の最貧困層──もっとも恵まれない層──に属すること。
すなわち、ポストモダンの戦争においては、古代ローマ時代と同様、「傭兵軍」が主たる戦闘部隊となるのだ。
傭兵で構成される軍隊は、公共倫理を破壊し、がむしゃらに力を求める熱情を爆発させるという意味において、腐敗した軍隊だといえる。現代の傭兵は、旧い古典理論に従った形で反乱を起こすのだろうか?
『マルチチュード』p.99
マキアヴェッリによれば、傭兵が権力を握ることは共和国の終わりを意味する。傭兵による指令は腐敗と同じ意味になる、と彼は言う。傭兵が今日のグローバルな<帝国>に対して反乱を起こす可能性はあるのだろうか。それとも傭兵たちはただ支配体制に同化し、それを支える役目に甘んじるだけなのか。マキアヴェッリは良き軍備のみが良き法律をもたらすと教えている。
すなわち、悪しき軍備──マキアヴェッリによれば、傭兵は悪しき兵器にほかならない──は悪しき法律をもたらすということになる。言いかえれば、軍の腐敗は政治秩序の腐敗を招くのである。
『マルチチュード』p.101-102
戦争がその絶対権を獲得するに至った最近においては、普遍妥当的かつ必然的なものがかなり多く存在している。しかし、将来の戦争がすべてこうした大規模な性格を有するかどうかは、かつて狭隘な限界内に再びそれが完全に閉じ込められるかどうかと同様、必然的に乏しいことである。
したがって、理論がこのような絶対的戦争のみにかかずらわっていれば、外的影響によって戦争の性格が変質した場合に、すべて排除されるか誤謬として非難されるかしてしまうことになるだろう。しかし戦争を観念的関係のもとにおいて研究するのではなく、現実的関係のもとにおいて研究すべきであるとするなら、これは理論の目的たり得ないことになる。
つまり理論は諸対象を検討し、区別し、秩序づけつつ、常に戦争の原因たり得る様々の関係の多様性に留意すべきであり、したがって、時代やその時機の要求を考慮しつつ戦争の大要を指し示すように努めるべきものとなる。
ここにおいてわれわれは、戦争計画者のたてる目標、その用いる手段は、その時々の情勢下におけるまったく個別的な特質に従って決定されるものであること、したがってそれ故にこそ、それらはまさしく時代の特質や一般事情の特質といった刻印を押されているものであること、しかしなおかつ、それらは根本的には戦争の本質から導き出されるべき一般的性格によって規定されていること、ということを結論として述べておかねばならない。
[RMA(Revolution in Military Affairs) 関係リンク]
- http://www.comw.org/rma/index.html
- TECHNOLOGY FOR 21ST CENTURY WARFARE
- http://www.iwar.org.uk/rma/
- http://www.dtic.mil/doctrine/jel/research_pubs/rmastrat.pdf
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