HODGE'S PARROT

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ネットワークと戦うためには自らもネットワークの形をとらなければならない




川原泉の差別を「問題化」している最中、以下のようなテクストを見つけた。

女タラシの彼が、同性愛者を兄に持つ苦労を主人公に語り始めるんですが


http://d.hatena.ne.jp/anadaana/20051029/p1

これは一体どういうことなのか? 「同性愛者を兄に持つ苦労」というのはいったい何か。
川原泉は、同性愛者という「存在」を、それ自体、「他人に苦労をかける存在」として仕立て上げているのだろうか。

どうしてこんな酷いことが書けるのか。もし「弟に苦労をかける人物が存在する」ならば、それは「彼/女が同性愛者だから」では、ない。「彼自身、彼女個人の問題」だ。
それを「同性愛者一般」の問題へと「一般化」すること。同性愛者の「存在」を、いかにネガティヴに描く/導くこと。それが──これまでも指摘してきたように──川原一流の「やり方/戦略」なのか? 

この川原のロジックの「帰結」は何か。それはナチスの「最終解決」と、いったい、どう違うんだ?
もし、弟思い(家族思い)の同性愛者ならば、「自殺しろ」とでも、暗に示しているのだろうか? (ここに僕は「優性思想」を感じる)

陰湿で卑劣な差別形態。

こんなことは許せない。そして川原泉ファンというのは、「川原は哲学的」だとほざいているくせに、こんなカンタンな「印象操作」も見抜けないのだろうか。それとも自ら意志して「差別のネットワーク」に加わっているのだろうか。

だったら、こちらも「対抗手段」を取るしかない。先日も書いたが、ネグリとハートの『マルチチュード』が「抵抗」のヒントとなる。

僕の「はてなブックマーク」に tag を設定した。「川原泉問題」というタグだ。様々な「問題」を「川原泉問題」とリンクすること。人権問題を「川原泉問題」と繋げること。「川原泉問題」をネットワーク化すること。それが僕の「対抗手段」だ。