HODGE'S PARROT

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アムネスティ・フィルム・フェスティバルより



アムネスティ・インターナショナル日本で、来年2009年1月17日から18日にかけて「アムネスティ・フィルム・フェスティバル」が開催される。
場所は東京都港区東新橋ヤクルトホール(→ http://www.yakult.co.jp/hall/)にて。


フレイヤー(PDF)

今回の映画祭では、ナチ政権下の強制収容所で虐殺された同性愛者についてのドキュメンタリー映画『刑法175条』(Paragraph 175 、監督:ロブ・エプスタイン/Rob Epstein、ジェフリー・フリードマン/Jeffrey Friedman)が上演される。

数万人が同性愛を理由に「有罪」とされ、5000人から1万5000人の人々が強制収容所に送られ虐殺されたといわれる、ナチスによる同性愛者への迫害。この迫害の根拠となったのが、同性愛に刑事罰を科すと定めた刑法175条だった。「この映画は同性愛者を差別するドイツの“刑法175条”によって迫害を受けたゲイ男性たちとひとりのレズビアンについて、歴史に隠された一面を聞き出している」(山形国際ドキュメンタリー映画祭2001公式カタログより)。収容所から生還した人々は戦後も差別され、長く沈黙を強いられてきた。数少ない生存者の証言から、失われた愛の記憶と尊厳を踏みにじられた痛みと怒りが静かに伝わってくる。

強制収容所に送られた同性愛者たちはピンクのワッペンを貼られ、他の被収容者から隔離された。収容所では同性愛を「直す」ためとして、特に重労働が課され、ナチス親衛隊や他の囚人たちからの激しい差別の中で殺されていった。最終的に、数万人が同性愛を理由に有罪判決を受け、5000人から1万5000人が収容所に送られたと推定されている。その多くが生還することなく、命を落とした。


戦後も同性愛者に対する差別や迫害が終わったわけではなかった。西ドイツ政府はナチス時代の犠牲者に対して補償を行ったが、収容所から生還した同性愛者たちはその対象から排除された。また、刑法175条は同性愛者を処罰する法律として東西ドイツ双方で生き続けた。西ドイツでは1950年から1965年の間に約4万5000人が有罪判決を受けている。その後、同性愛解放運動の高まりを受けて1980年代には同性愛者も戦後補償の対象となり、1994年には刑法175条が撤廃された。2008年にはベルリンのホロコースト記念碑のそばにナチスの迫害によって犠牲になった同性愛者の慰霊碑が建立されている。

この映画をぜひ観て欲しい人がいる。
あなたです──川原泉のお母さん。
川原泉のお母さん、この映画を観て事実を知ってください、歴史を知ってください。
そしてあなたの口から、あなたの子供に、歴史を語ってください。
人間の尊厳を、人権というものを、語ってください。あなたの言葉によって。

必要ならば、チケット代、交通費、東京での滞在費をすべて出します──僕に請求してください。

母子家庭なのは、あなたたち親子だけじゃない。



Mina Quando corpus morietur

「世があなたがたを憎むなら、あなたがたを憎む前にわたしを憎んでいたことを覚えなさい。あなたがたが世に属していていたなら、世はあなたがたを身内として愛したはずである。だが、あなたがたは世に属していない。わたしがあなたがたを世から選び出した。だから、世はあなたがたを憎むのである。
『僕は主人にまさりはしない』と、わたしが言った言葉を思い出しなさい。人々がわたしを迫害したのであれば、あなたがたをも迫害するだろう。わたしの言葉を守ったのであれば、あなたがたの言葉をも守るだろう。しかし人々は、わたしの名のゆえに、これらのことをみな、あなたがたにするようになる。わたしをお遣わしになった方を知らないからである。わたしが来て彼らに話さなかったなら、彼らに罪はなかったであろう。だが、今は、彼らは自分の罪について弁解の余地がない。わたしを憎む者は、わたしの父をも憎んでいる。だれも行ったことのない業を、わたしが彼らに間で行わなかったなら、彼らに罪はなかったであろう。だが今は、その業を見たうえで、わたしとわたしの父を憎んでいる。しかし、それは、『人々は理由もなく、わたしを憎んだ』と彼らの律法に書いてある言葉が実現するためである。


わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証をなさるはずである。あなたがたも、初めからわたしと一緒にいるのだから、証をするのである。




ヨハネによる福音書 15.18-27 (新共同訳『聖書』より)

川原泉のお母さん、あなたには、何ができますか?