富岡幸一郎 著『使徒的人間 カール・バルト』に、カール・バルトに強い影響を与えたルーテル派の神学者クリストフ・ブルームハルト(Christoph Blumhardt 、1842 - 1919)のことが触れられていた。そこで述べられているブルームハルトの言葉がとても強く印象に残った──まさに「力の問題」(Machtfrage)としてのキリスト教信仰について語られていた。引用しておきたい。
1893年の8月、51歳のブルームハルトは、こう語った。
《宗教改革の時代は終わりました。私どもが必要なのは、神ご自身です。イエス・キリストそのものです。死人の中から甦られ、やがて現れるキリストです。そして他のすべてのものは消え去るのです。他のすべてのことにおいて貧しくなる者こそさいわいです。この他のすべてのものにひそむのは肉であり、倒錯でしかないからです。最後の日が燃えるとき明らかになるのは、そのすべてが不要であったということです。すべてのものが鋳直され、変形され、霊の中に捉え込まれなければなりません》
これは『死ね、さればイエスは生き給う』との表題をもった説教集として刊行された。ブルームハイト的信仰は、「自分の宗教をたずさえて、天に昇ろうとする」全ての人間的なヒロイズムにたいして、「死ね」と語る。美しい衣服を着て教会に行き、聖書を世の中に広く頒布したりすると「神様がよろこばれる」と思い込む、全ての敬虔主義的態度にたいして、「死ね」と語る。時代の経過の中で、真の神を放棄して、哲学的な神を手に入れた理神論にたいして、「死ね」と語る。それはつまり、いわゆる「神」とは、人間自身なのであるということにたいする徹底した死刑宣告に他ならない。
この「死ね」のなかで、ブルームハイトは言う。「私たちは、宗教を必要としない」と。「さらばイエスは生き給う」。彼が「宗教改革の時代は終わりました」と語ったのも、宗教という世俗化にしばられたプロテスタント教会への終結の言葉であった。
- 作者: 富岡幸一郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1999/05
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