アントニオ・ネグリとマイケル・ハートの『マルチチュード』をパラパラとめくっていたら、ジュディス・バトラーに言及しているところがあった。
ジュディス・バトラーは比類ないほど豊かで洗練された反身体理論を構築するとともに行為遂行的(パフォーマティブ)な構成プロセスを明確に論じている。バトラーは性的差異という自然的な概念構成を厳しく批判する──すなわち、ジェンダーは社会的に構築されたものであるが性的差異は自然なものであるとする従来のフェミニズムの考え方に、強く異を唱えるのだ。性を自然なものとみなす考え方は、「女性」の社会的・政治的身体[=「女性」という社会的・政治的集団]を自然なものとみなす考え方でもあり、それは、人種やセクシュアリティの点で女性の間に存在するさまざまな差異を副次的なものにしてしまうとバトラーは主張する。
とりわけ性を自然なものとみなす考え方は異性愛を規範化し、同性愛の立場を下位に置くものだという。バトラーによれば、性は自然なものではなく、「女性」という性別化された身体も自然なものではない。それらはジェンダーのように毎日遂行(パフォーム)されているというのである。
『マルチチュード(下)』p.30-31
この部分はとくに、川原泉と「その下僕ども(のネットワーク)」の差別思想/優性思想(イデオロギー)に対する徹底的な「抵抗」にヒントを与えてくれるはずだ。
この時点で明らかなのは、対反乱戦略が、もはや反乱軍のリーダーの暗殺や大量逮捕といった消極的な術策にのみ依拠するのではなく、「積極的な」術策も創出しなければならないということだ。言いかえれば、対反乱戦略は反乱を生み出す環境を破壊するのではなく、その環境を創出しコントロールするよう方向転換すべきなのだ。先に論じた全方位的支配は、ネットワーク状の敵をコントロールする、そうした積極的な戦略構想のひとつだといえる。これはネットワークに対して軍事的のみならず、経済的・政治的・社会的・心理的・イデオロギー的にかかわることを意味する。
そこで問題は、こうした全般的かつ分散的な形で接合された対反乱戦略を実施するには、どんな権力形態が必要かということだ。従来の集権的で階層的な軍事構造には、こうした作戦を実施し、ネットワーク型の戦争機械と十分に戦う能力はないように見える。ネットワークと戦うためには自らもネットワークの形をとらなければならないのだ。だが、ネットワークになるためには、伝統的な軍事装置やそれを代表する主権権力の形態を根本的に再編成することが必要である。
『マルチチュード(上)』p.114
だがもっと重要なのは、伝統的な軍事構造ではもはや敵を打ち負かし、封じ込めることが不可能になったということである。まさに支配の効率性という観点から、権力の全側面にネットワーク型の形態が課せられているのだ。となれば私たちの行く手にあるのは、<帝国>の秩序に属するネットワーク状のさまざまな力が、四方八方に控えたネットワーク状の敵と対峙する戦争状態にほかならない。
『マルチチュード(上)』p.120
それと、もう一つ興味を惹いたところ。マルチチュードに対する「ヘーゲル的な立場」からの批判だ。
一方のヘーゲル的立場からの批判によれば、マルチチュードとは<一>と<多>の間の伝統的な弁証法的関係の単なる焼き直しにすぎないという。これはとりわけ、現代のグローバル政治の主要なダイナミクスは<帝国>とマルチチュードの間の闘いだという私たちの主張に向けられたのものだ。「おまえたちは本当はできそこないの、不完全な弁証法論者ではないか!」と彼らは言う。仮にそうであれば、マルチチュードはその弁証法的支えである<帝国>なしには存在できなくなり、その自律性は著しく限定されてしまうことになる。
『マルチチュード(下)』p.70
どこかで目にした批判だなあ。
ところで『現代思想』2005年11月号の特集は「マルチチュード」だった。これも必然的な「ネットワーク型」の「戦略」だろう。
その中で、長原豊の「ある晴れた朝、不可能な階級は……」にマイケル・ハートのインタビューが引用されていた。孫引きになるが、なかなか面白いことをハートが語っているので書いておきたい。
第三の回答があります。それはスラヴォイ・ジジェクのやり方だと思います。ジジェクはこんな冗談を言うのが好きです。それは「フランスの地下鉄に乗っていると、ヤッピーを見かけるけど、彼はドゥルーズ/ガタリを読んでるんだよね」って。続けてジジェクは、ドゥルーズ/ガタリの思考は、本質的には、すごくヤッピー的だし、資本主義的だし、消費者的だ、って言うのです。彼は『帝国』についても同じことが言えると思います。『帝国』は君の高校時代の友人たちのような連中にも訴えるものがある。なぜって『帝国』は彼らやその[本質的には、すごくヤッピー的だし、資本主義的だし、消費者的な]世界についての著作ですから。
このハートの発言対して、長原豊はこのように書く。
もちろんこうした発言の背後には、ハート/ネグリとジジェクとのドゥルーズ/ガタリ(とマルクス)をめぐる、僕からすれば両者ともにその方向性についてはおそらく誤っている、欧米左翼(ジャーナリズム)内部のやや生臭い政治的争奪戦が働いているが、それには立ち入らないでおこう。
本当は、ぜひ立ち入って欲しいんだけどな。
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