HODGE'S PARROT

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マーラー版《死と乙女》と《セリオーソ》



グスタフ・マーラーの編曲による弦楽四重奏曲の傑作──シューベルトの《死と乙女》D.810 とベートーヴェンの《セリオーソ》Op.95 を聴いた。演奏は、マルコ・ボーニ/Marco Boni 指揮、コンセルトヘボウ室内管弦楽団ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団のメンバー)。

String Quartet in D Death & The Maiden

String Quartet in D Death & The Maiden


室内管弦楽の演奏といっても「管」はなくて弦楽合奏によるアレンジ。もちろん、単に弦楽四重奏の「弦」を複数にしただけ、なんていう怠惰なものではない。そこにはマーラーならではの創作が「その時代を思索の中に捉える」形で混在されている。すなわち低弦が強化され──当然のことながら──膨らみのある響きになっている。安定した低音に支えられながら、高音のヴァイオリンは情感を込めて甘美に歌う。音量のバランスは繊細に絶妙に調整される。そして緩徐楽章では耽美的な音の綾に魅了される。シューベルトにしても、ベートーヴェンにしても、だ。
マーラー交響曲第5番の「アダージェット」やシェーンベルクの《浄められた夜》に近しい響き……というよりもチャイコフスキーかな、どちらかというと──あの『弦楽セレナード』のような「肉感的な」感じ。
もっとも、アドルノによれば「マーラーは、音楽が膨らみを増し幅を広げるように音響を導く美しい響き(ヴォールラウト)という理想を批判」していたようであるが*1 ……ま、別に気にすることはないだろう。


それとこのCDのカヴァーで使用されている絵画作品について。この骸骨と少女が見詰め合っているという一際目を惹く絵画は、ベルギーの画家アントワーヌ・ヴィールツ(Antoine Wiertz、1806 - 1865)の『美しきロジーヌ』(La Belle Rosine、Beauty and Death)という作品だ。

まさに「死と乙女」というモチーフを捉えた作品で、そして別名が『二人の少女』(Deux jeunes filles、Two Young Girls)になっていることに、ヴィールツの思想が込められているのだろう。ルーベンスミケランジェロに影響を受けたアントワーヌ・ウィールツであるが、彼の思索的な関心は「死」であった。『美しきロジーヌ』もそういった「死」をテーマにした作品で、死を想え/死を忘れるな/メメント・モリ(Be mindful of death、Remember that you must die、Memento mori)という「思索の中に捉えられた」モチーフが鮮烈なまでに表出されている。
Der tod und das Mädchen-Marian Anderson


そういえば──上記のことを書きながら思い出したのだが(remember)──ミュリエル・スパーク(Muriel Spark、1918 - 2006)も「死」をテーマにした不思議な読後感を残すユニークな作風の小説をいくつも書いていたな。代表作はそのものズバリ、『死を忘れるな』(Memento Mori)だった。

(ミュリエル・スパークの作品に)一貫して目立つのは「死」の意識である。それが中心主題となっているのは『死を忘れるな』だが、その他の作品でも死の意識はたえず底流として流れていて、それが逆に生の意味を照らし出す働きをしている。スパークの世界には、超自然的な、あるいは神秘的な世界が当然のこととして含まれているのである。

同じことは「悪」についても言えるであろう。悪もまた、人生のいわば不可欠な要素として認知されているのであり、むしろ悪があってこそ善が成り立つという前提に立って、主題は展開する。これは、あきらかにカトリック的な立場と考えていいだろう。

彼女の作風は、たしかにユニークと言っていい。




小野寺健「解説 スパーク」(集英社ギャラリー[世界の文学]5より)p.1371-1372


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