パウル・ツェランの《死のフーガ》には衝撃を受けた──衝撃を受けた記憶がある。
彼は叫ぶもっと甘美に死をかなでろ死はドイツから来た名手
彼は叫ぶもっとヴァイオリンを暗く弾けそうすればきさまらは
煙となって空に昇る
そうすればきさまらは雲のなかに墓がもらえるそこで寝ても
狭くない
夜あけの黒いミルクぼくらはおまえを夜ごとに飲む
ぼくらはおまえを昼ごとに飲む死はドイツから来た名手
ぼくらはおまえを夜ごとに飲む朝ごとに飲むぼくらは飲みまた
飲む
死はドイツから来た名手彼の眼は青い
もともとシューベルトやシューマンの歌曲が好きだったし、第二外国語がドイツ語だったので少しはドイツ語に触れておこう、(習った)ドイツ語を忘れないでおこう、という気楽な動機でこの「対訳本」を手にした。
「きっかけはほとんど偶然だった」
イギリスの作曲家ハリソン・バートウィッスル(Harrison Birtwistle、1934生まれ)も偶然ツェランの詩のマイケル・ハンバーガー(Michael Hamburger)による英訳に出会い、それに魅せられた。彼は《ツェランによる9つの曲》を書き、後に《弦楽四重奏のための9つの楽章》と結びあわせた。
それが《パルス・シャドウズ── パウル・ツェランに基づく瞑想(ソプラノ、弦楽四重奏とアンサンブルのための)》(Pulse Shadows、1996)である。
- アーティスト:Birtwistle, H.
- 発売日: 2001/11/15
- メディア: CD
いわゆる「現代音楽」だ。アルディッティ弦楽四重奏団とナッシュ・アンサンブルによる不穏な音響の下(指揮はデ・レーウ)、クラロン・マクファデンのソプラノが鋭く響き渡る。ただし「死のフーガ」というタイトルを持つ楽章は声楽なしの純粋な器楽曲になっている。このことに関連するかもしれないが、解説でスティーヴン・ブルスリンが興味深いことを書いている。
ナチによるユダヤ人大虐殺(ホロコースト)のあと、ツェランは、言葉で対処できない体験は一方で現実を再構成する手段としての言葉を要求するという逆説に直面した。この逆説は、ツェランの詩に作曲しようというバートウィッスルの衝動(impulse)にも内在するものだった。
しばしばバートウィッスルは、声楽曲であろうと器楽曲であろうと、旋律というものを、努力して獲得するものとして扱ってきた。バートウィッスルの多くの作品では、企てられた旋律(melody attempted)は獲得された旋律(melody achieved)と同じくらいに重要であり、そして獲得された旋律のあとには破壊された旋律(melody destroyed)が続くこともそれほどめずらしくない。
このように考えれば、バートウィッスルがツェランの詩──その簡潔さと凝縮度、念入りに構成された作品でさえ「断片」を連想させずにはおかない警句的な性格、そして何よりも、痕跡だけを残す言葉の爆発──に感じ取った親近感を理解することができる。
バートウィッスルの《死のフーガ》(Todesfuge、Deathfugue)では、「亡霊の主題」(ghost subject)がハーモニックス(倍音)で微かに立ち現れる。
Todesfuge - Paul Celan
彼はおまえを鉛の弾丸で射つ彼はおまえを正確に射つ
家に住む男がいるきみの金いろの髪マルガレーテ
彼はぼくらに猟犬をけしかける彼はぼくらに空中の墓をくれる
男は蛇とたわむれるそして夢みる死はドイツから来た名手
パウル・ツェラン《死のフーガ》