HODGE'S PARROT

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”ブーレーズってこんなものだよ” by カミングス?




ピエール・ブーレーズの≪カミングスは詩人である≫(cummings ist der Dichter、1970)を聴いた。自作自演……そう、ピエール・ブーレーズ指揮アンサンブル・アンテルコンタンポランの演奏だ。


ただね。
E.E.カミングズ(E.E.Cummings)の詩にインスパイアされたのに、

どうしてこんなに「陰惨な」シリアスな現代音楽になるかなー。
しかも
なぜ
   タイトルがドイツ語なんだろう……眼を惹いたのが、あの洒脱な

 イ
  ア
   ウ
     ト、
TYPOGRAPHY
!句読点法、
テクストのアレンジメントという「形式」だとしても、
だ(だったらステファヌ・マラルメによる即興を繰り返せばいいだけだ。


解説を読むと、ブーレーズがカミングスの詩を知ったのは、ジョン・ケージを介してだという。1952年。二人が「文通」をしていた頃だ。

親愛なるジョン。僕は君からの便りをいまかいまかと待っている。もしも便りがあれば勇気がでるだろう。自分自身に対して正直であろうとする戦いを続けるためには、そして愚かさや悪意に対して士気を保つためには、勇気が要るからだ。幸い、僕らは、こんなふうに身体をはって頑張ることにおいては、かなり堅固である数少ないものであると思うのだ。
ニコル・アンリオが、君がニューヨークに来たときに会えなかったことを残念がっていた。彼女は何度か君に電話したけれど、誰も出なかったので。
変わらず、ボートレリスにて。 PB




No27 ブーレーズからケージへの手紙*1

親愛なるピエール
君の二番目の手紙が届いて、慌てて僕は、返事を書いている。勿論、数ヶ月ものあいだ、君に書かなければと気になってはいたのだ。君が、自分の作品について詳しく書いて送ってくれた長い手紙は、素晴らしいものだったけれども、少なくともそのために僕はすぐ返事を書かなかったということもあると思う。なぜかというと、僕は君に読んでもらうのに値する手紙を書こうと心を砕いていたのだけれど、できるとは思わなかったからだ。


(中略)


君が、マラルメの「骰子の一擲」のことを書いてくれたとき、僕がどんなに興味をひかれたか、僕の現在の仕事ぶりから、君には分かる。
そして僕は、アルトーをおそろしくたくさん読んできた(これは、君のおかげだし、君のおかげでアルトーを読んだチュードアを通してである)。


(中略)


マースと僕は先月、もうひとつ、サンフランシスコ、デンヴァー、シアトルなどに巡業に出かけた。僕はいつも君の楽譜をもち歩いている(ゴスペルをあちこちに広めながら)。
できるだけ早く「四重奏曲」を送るのを忘れないでくれたまえ。君の仕事に対する僕の愛情は、薄くなるどころかふくらむばかりだ。デイヴィッドは、君の「ソナタ」の演奏は良くなりつつあるし、今だかつてないほど良くなるだろうといっている。彼は、素晴らしいピアニストなのだ。


僕らはみな、君がここニューヨークにいるか、あるいは僕らがみな、君と一緒にパリにいるのであればいいと思っている。それはそれは、素敵な生活だろうに。
ジョン




No28 ケージからブーレーズへの手紙*2

と、まあ、微笑ましいかぎりだ。とくにジョンが「言葉を尽くして」自分の音楽概念をピエール君に説明するところなんて読むと、
ジョンは、マジメである、
ジョンは、理論家である、
ジョンは、音楽をとてもシリアスに考えている、
と思わざるを得ない。


なんていうか、偶然性VS.管理された偶然性(あるいはアメリカVS.ヨーロッパ)っていう「対立」は、偽の対立であって、本当は「尊敬」と「愛情」に満ちた「紳士協定」だったりして。相互依存のようなもの。危険な関係……苦々しくも「マーシャル・プラン」を受けいれたヨーロッパが、音楽においても苦々しく「マッシュルーム・プラン」を受けいれたのごとく……。

してみると、ポップなカミングスの詩が、あのようなシリアスになるのは、実はブーレーズ一流の逆説──遊戯だったりして。なんていうか、ここぞとばかりに「知性」に頼るのは、実は楽天的で、それこそ「怠惰」なのではないかと……。

というわけで、ポップでエロティックでユーモア溢れるアメリカの詩人カミングスにそってブーレーズを聴いてみたい。カミングスの詩の引用は『カミングズ詩集』(藤富保男 訳編、思潮社)による。

...Explosante fixe...

...Explosante fixe...

  • 発売日: 2005/02/08
  • メディア: CD

オレはカタクなっちまって
気になっちゃうのさ(さあ


ユニバーサルジョイントに油をさしてバッチリ




「アイツはビッタシ」
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牡牛とやるやり方は
入れたり出したりすることじゃなくって
<汝の欲することを他人に為せ>を教え込むため
ぴしゃりと叩くやり方をやってみせること




「牡牛とやるやり方は」
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ブーレーズ:レポン

ブーレーズ:レポン

そおっと
クラッチ(なんてこったいバックじゃないぜ
アイツときたら
チクチョウ)すぐに
ギアをもどしてもう一度


ゆ・っ・く・り・さ、やっと、押・し・こ・む(オレの




「アイツはビッタシ」
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(サイコーだ とカレ
やめないで とカノジョ
もうダメ とカレ)
ゆっくり とカノジョ




「さわっていいかい」
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仲間にほめられようとする奴もいるけれど
ぼくはちがう ぼくは構成するのだ
さまざまな曲線や色合いや角度や沈黙を
もっと素直に着実に



「仲間にほめられようと」
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バラの季節には
(パラダイスつきのぼくたちの now
ぼくたちの here に瞠目する人々よ)
<if>を忘れて
<yes>を思い出してほしい



黄水仙の季節には」
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男の子ってのは、そんなものだよ
あれこれ喋るほどの頭はなくって
芸術なんかには屁もひらず
小便するみたいに殺すんだ


思ったままを口に出し
やりたいことはなんでもやる
男の子ってのは そんなものさ
おどりまくって 山をゆさぶるんだ




「男の子ってのはこんなものだよ」
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CUMMINGS IST DER DICHTER

CUMMINGS IST DER DICHTER

CUMMINGS IST DER DICHTER

CUMMINGS IST DER DICHTER

CUMMINGS IST DER DICHTER

CUMMINGS IST DER DICHTER

CUMMINGS IST DER DICHTER

*1:ブーレーズ/ケージ 往復書簡集』(恩地元子 訳、『ユリイカ』1995年6月号より)

*2:同上