フィンランドの指揮者、にして作曲家であるエサ=ペッカ・サロネン(Esa-Pekka Salonen、b.1958 - )の近作を収録したディスクを聴いた*1。指揮はもちろんサロネン自身、ピアノはイェフィム・ブロンフマン(Yefim Bronfman、b.1958 -)、ロスアンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団の演奏だ。
ディスクのプログラムは、
- ヒーリックス/Helix for orchestra (2005)
- ピアノ協奏曲 (2007)
- ディコトミー/Dichotomie for piano solo (2000)
サロネンはソニー(SC)からドイツ・グラモフォン(DG)へ移籍して、その移籍先のDGで自作の曲を自演しているわけだが、その転身ぶりって(そのヘッドハンティングって)、なんだかピエール・ブーレーズのそれと似てるなと思った(ま、ブーレーズはエラートへの録音もあったし、70年代にはDGでアルバン・ベルクのオペラ《ルル》や室内協奏曲をリリースしていたわけだが)。現代音楽を積極的に演奏していること、サロネン、ブーレーズともにDGでストラヴィンスキーの《春の祭典》を「まずは」再録音しているのも、なにやら似ている。二人ともマーラー、ドビュッシー、シェーンベルク、バルトークあたりを「クラシック音楽の」重要なレパートリーにしていることも。
ただ、現代音楽に関してはどうだろう。オリヴィエ・メシアンは二人にとって重要であるようだが、それ以外の作曲家では、録音に関して、意外に一致していないように思える。目立つところとしては(どこかで読んだことがあるのだが)ブーレーズが大いに批判したイタリアの作曲家ルイージ・ダッラピッコラ(Luigi Dallapiccola、1904 - 1975)の代表作、オペラ《とらわれ人》をサロネンは録音しているし、ブーレーズにとっては無関心と思われる作曲家ヴィトルト・ルトスワフスキ(Witold Lutosławski、1913 - 1994)をサロネンは積極的に熱心に──このポーランドの作曲家が「サロネンのオーケストラ」であるロスアンジェルス・フィルハーモニーのために書いた《ファンファーレ》という曲もあったし──演奏している。カイヤ・サーリアホ(Kaija Saariaho、b.1952)*2やマグヌス・リンドベルイ(Magnus Lindberg、b.1958)のような北欧の作曲家をブーレーズは手がけていないし。そういえば片山杜秀氏がどこかで指摘していたが、パウル・ヒンデミット(Paul Hindemith、1895 - 1963)も「サロネン好み」であってもけっして「ブーレーズ好み」の作曲家ではなかった。
以上が、このサロネンの音楽を聴きながら脳裏に過ぎった、とりとめのない想いである。ま、サロネンとブーレーズは30年以上年が離れているので、現代音楽──というよりも「同時代音楽」に対するスタンスに差があるのは当然だろう。そして彼らの作品にも。
《ヒーリックス》はBBCの委嘱により作曲され、ヴァレリー・ゲルギエフ指揮で2005年のプロムスで初演された。まさにプロムス向きの音楽。長木誠司氏が『レコード芸術』で述べているように、アルテュール・オネゲル《パシフィック231》(オネゲルはスイス人の両親をもつフランスの作曲家であるが、この曲のタイトルは英語で《Pacific 231》である)みたいな構成でラストへ向かってクライマックスを築く演奏効果抜群の曲──個人的にはオットリーノ・レスピーギの《アッピア街道の松》(『ローマの松』)のような「盛大な盛り上がり」を思い浮かべた。ライヴ・レコーディングなので観客の熱狂ぶりも収録されている。ちなみに HELIX は、らせん状のもの(spiral)、コイル(coil)を意味している。
《ピアノ協奏曲》はBBC、およびラジオ・フランス、NDRハンブルクの委嘱であるが、何よりもブロンフマンとの交遊から生まれたものだ。ピアノの超絶技巧とオーケストラの気持ちのよい「運動」を楽しめる。音がスルスルと耳に入ってきて、感覚を刺激する。色彩感も豊かだ。聴いていて心地よい。何度も聴きたくなる──例えばプロコフィエフの第3番コンチェルトを聴くように──「現代・同時代音楽」だ。
そういったフィジカルに楽しめる音楽なのだが、そこには実は「思想」がある。それがポーランドのSF作家スタニスワフ・レム(Stanisław Lem、1921 - 2006)の世界観だ。残念ながら僕はレムの本を読んだことがないので、解説でサロネンが言及している摸造鳥・ロボット鳥(Artificial Birds、bird-robots)がどういうものかわからないのだが──というより鳥、あるいは「人工的な」鳥、と聞くとメシアンの《鳥のカタログ》あたりを思い浮かべる──たしかに第2楽章のピアノのカデンツァの後に現れる木管楽器とホルン、ピアノの音響は鳥の鳴き声のようである。サロネンはサイバネティック・システムが発展した post-biologic culture を描いているのだという──うーん、SF的*3。ピエール・ブーレーズならこういうときに高踏的なステファヌ・マラルメあたりを持ち出して音楽を説明するのだが、サロネンはサブカルチャーを持ち出す。やはり30年の年の差は大きいな。
ピアノ独奏曲《ディコトミー》は、そのタイトルが意味するように二つの音楽から構成されている。「メカニズム Mecanisme」と「オルガニズム Organisme」。「メカニズム」は機械のイメージ──とりわけスイスのアーティスト、ジャン・ティンゲリー(Jean Tinguely、1925 - 1991)の作品に喚起されたとサロネンは述べている。ピアノの無窮動な運動性が、やはり心地よく、そして楽しい。
「オルガニズム」は木・tree の──柳のような──イメージを音楽化したのだという。ドビュッシーのような繊細な響き。緻密な音像。とても魅力的な音楽だ。
[Esa-Pekka Salonen]