HODGE'S PARROT

はてなダイアリーから移行しました。まだ未整理中。

7月14日を/に考える

フランス革命で「人権」という理念が発明された結果として、かろうじて第三世界の貧困という事実が問題になりえている。だからきみも、アフリカの子供が飢えて死んでいくのに感情移入できる。それを現実的なものとして了解できる。つまり、その餓死という事実を、自分の問題にできるわけだね。
事実を問題化するプリズムが存在しなければ、たんに事実があるだけです。


笠井潔ユートピアの冒険』(毎日新聞社

7月14日はフランス革命記念日フランス革命で発明された「自由、平等、博愛」という「理念」は、あまりにもあたりまえすぎて、ほとんど空気のように、意識されることすらもない。
しかし、この理念も「解体」のときがきているようだ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050714-00000274-kyodo-int

フランス革命記念日の14日、シラク大統領は国営テレビとのインタビューでロンドン同時テロに関連し「世界のどの国もテロリストの攻撃を免れる国はない。テロリストはわれわれと違った感情と心理を持っている」と指摘、「永続的に対策を取らなければならない」と述べ、テロとの戦いの重要性を訴えた。


もはや、多くの人々は、自由よりも「安全」を重視し始めている。別な言い方をすれば、自由よりも安全を優先する自由を行使しているのかもしれない。不自由? それがどうした。

先に引用した対談『自由を考える』の東浩紀大澤真幸は、自由よりも生活のセキュリティを求める世間一般の人々をまえに訴える術もなかった。それは彼らが、「自由」の価値観で世の中を覆うという手前勝手な支配欲を捨てられなかったからであろう。安全を求める多数者と自由を求める少数者(彼ら)とが、棲み分け共存する方向へ踏み出せばよかったのだ。
次に、「自由」を求める以上、自分らは安全と豊かさを捨て、ハイ・リスク、ハイ・リターンを選ぶと開き直れなかった。「道々の輩」が危険を生きたように、安全と豊かさに恋々としている限り、自由など唱える資格はないのである。

さらにまた、M・フーコーなどに依拠して、規律訓練型権力(学校、職場、軍隊などで我々へ刷りこまれる均質な思考、行動のルール)、環境型管理権力(VHSやウィンドウズなど、他の選択肢がいつしかなくなるほど浸透して我々の思考、行動を規定する仕様)などを告発する彼らは、他(敵)を悪くいう受け身の姿勢であるばかりで、ひるがえって「自分たちはこうしたルールに規律されて生きたいのだ」とうちだしてゆく能動性が微塵もない。これは従来のアナーキストの大部分にもいえるであろう。



浅羽通明アナーキズム』(ちくま新書)p.280

アナーキズム―名著でたどる日本思想入門 (ちくま新書)

アナーキズム―名著でたどる日本思想入門 (ちくま新書)