山田文比古『フランスの外交力―自主独立の伝統と戦略』(集英社新書)を読む。
- 作者: 山田文比古
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2005/09/16
- メディア: 新書
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1977年、ソ連は中距離核ミサイルSS20をヨーロッパ地域に配備した。これに対しNATO の北大西洋理事会は、ソ連にSS20の撤去を求める交渉を行う一方、アメリカの中距離ミサイル、パーシングⅡと地上発射巡航ミサイルを欧州に配備するという「NATO二重決定」を行う。
だが、西ドイツなどの社会民主主義勢力が「平和主義」を唱え、米国のミサイル配備に反対、米欧の同盟に亀裂が走る。フランス社会党のフランソワ・ミッテランも、野党時代には、「二重決定」に反対していた。
しかし、1981年に大統領に就任して以降、ミッテランは現実路線に転換する。就任後二年の間にミッテランは、レーガン大統領と六回も会談を重ねる一方、この問題については「平和主義者は西側に(しかいないが)、ミサイルは東側に(既に配備されている)」と巧みな表現で状況を定式化し、同盟国として米国の立場を支持するとの姿勢を鮮明にするのである。
ソ連が、フランス(及び英国)の核ミサイルの存在を理由として自らの中距離ミサイルの配備を正当化している以上、フランスにとっては、ゼロ・オプション(SS20撤去と引き換えにパーシングⅡと巡航ミサイルの配備を中止する)を唱える米国とともにソ連のSS20の撤去を求め、それが実現しない限り、米国ミサイル配備を進めることによりソ連に圧力をかけ続けるしか選択肢はなかった。
p.73
フランスは既にシャルル・ド・ゴール時代の1966年にNATOの軍事機構から脱退し、独自の核戦略を展開、アメリカの軍事戦略とは距離を置いていた。
そのフランスが、左派政権の大統領であるミッテランが、「平和主義と反核アレルギーの傾向が根強い西ドイツ」を訪れ、連邦議会で演説を行った。1983年1月のことである。
「抑止力となる核兵器は、好むと好まざるとにかかわらず、力の均衡が確保される限りにおいて、平和の保障者であり続けるでしょう。
……ヨーロッパと米国とが離間(découplage)してもよいと考えることは、とりもなおさず、力の均衡を危殆にさらすことになり、したがって平和の維持を危うくすることになるのです。そうした米欧の離間が危険であると私は信じますし、そう申し上げます」
p.73-74
ドイツ連邦議会は1983年11月、米国の中距離ミサイル受入れを承認。同年、米国ミサイルは欧州に配備された。
こうした西側同盟国の団結の下、米ソ間の交渉は、その後紆余曲折を経たものの、1987年11月に至り、欧州地域の中距離核を全廃するとの合意に結実する。ついにソ連側は、欧州地域に配備されたSS20の撤去を受けいれたのである。と同時に、大西洋同盟の離間の危機も回避された。
後日、この時のことを評してキッシンジャー元米国国務長官は、「ミッテランは、(米国にとって)極めて良い同盟者であった。歴代のフランス大統領の中で最良の同盟者であったと言ってよい」と述懐している。
p.74-75