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英国紳士のモダンな植民地統治とポストモダン植民地主義

先日読んだブレアのイラク戦争(の一部)を要約したような記事があった。
キース・ディクソン「アメリカ政権と唱和するブレアの労働党」(『ル・モンド・ディプロマティーク』日本語・電子版)

例えばトニー・ブレア社会学アンソニー・ギデンズを始めとする「新労働党」指導者たちがクリントン米大統領から学んだテクニック。

彼(クリントン)が共和党を切り崩すために用いた戦略(トライアンギュレーション)は、それまでの民主党の(社会不安、税制、福祉面での)政策を切り捨てることになろうとも、有権者にアピールしそうな共和党の主張を取り込むというものだ。基本的な考えは、実にシンプルである。敵対者と効果的に戦うために、彼らが主張する政策の主要部分をそのまま頂戴するのである。

また、植民地主義の再考、もしくは修正主義についてのナイアル(ニオール)・ファーガソンの主張。

帝国主義がもたらした恩恵を擁護し、メディアにもてはやされる若い歴史学者、ナイアル・ファーガソンによれば、イギリスの植民地化による最終的な損得は、総合的には住民にとってプラスとなった。彼らは経済的な後進性と(インドの女性に見られるように)社会的な抑圧から脱出することができた。自由貿易主権国家、民主制や「西洋的価値観」といった普遍的な善がもたらされたことも忘れてはならない。

そしてもうひとり、ロバート・クーパーの意見。

ブレアの国際政治顧問は、こうした自由帝国主義の伝道者の一人、ロバート・クーパーである。2002年4月、「なぜ我々には今なお帝国が必要か」と題した論説で、クーパーはポストモダン植民地主義の必要性を訴えた。「帝国と帝国主義というのは軽蔑的な言葉になった。その義務を引き受けるつもりのある植民地勢力は皆無である。しかしながら、植民地化の機会、さらに言えば必要性は、19世紀よりもむしろ今日の方が高まっているのだ」

こういった「ポストモダン植民地主義」を威風堂々(Pomp and Circumstance)と言えるのも、イギリスが過去の植民地支配に自信を持っているからだろう。
例えば、浜渦哲雄『英国紳士の植民地統治』(中公新書)を読むと、大英帝国がいかに「植民地に優秀な人材を派遣することを目的とし、その努力を怠らなかった」のかがよくわかる。

英国紳士の植民地統治―インド高等文官への道 (中公新書)

英国紳士の植民地統治―インド高等文官への道 (中公新書)