HODGE'S PARROT

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ポエジーの宗教 ルネ・シャール



直感は鍵をもち、いくつもの高い檻を突きぬけながら、萌芽状態のポエジーの束を震わせるのを忘れないのだから、直感こそが秩序を思考し指示すると私は認める。この檻のなかの木霊、すなわち選ばれた先駆的な驚異が眠っているのであり、これが通過する途中でその檻を濡らし、豊穣にするのである。




ルネ・シャール「ポエジーについて(1936-74年)」(西永良成 訳、平凡社ルネ・シャールの言葉』より) p.121

ピエール・ブーレーズの《ル・マルトー・サン・メートル》を始めとする「ルネ・シャール三部作」はとても好きな音楽なんだけど、作曲家にインスピレーションを与えたその肝心の詩人シャールについてはあまり知らなかったので、西永良成氏の編訳による『ルネ・シャールの言葉』をざっと読んでみた。
この本には、ブーレーズの《ル・マルトー・サン・メートル》で採用された三つの詩(「怒る職人」「孤独な死刑執行人」「美しい建物とさまざまな予感」)は載っていないが、戯曲『水の太陽』や「草原と月桂樹──ブーレーズのために」という散文が収録されている。

で、西永氏の解題を読んでいて、なるほどこれはブーレーズの音楽にも通じるものがあるな、と思った。それは1934年の綜合詩集『打ち手なき槌』(ル・マルトー・サン・メートル、主なき槌)の難解さは、西永氏によれば、シャールが根底的な伝統破壊をめざしたシュルレアリスム運動参加者として、「追従」ではなく「侮蔑」の詩を書こうとして、通俗的な伝達性を読者への「追従」として徹底的に排除したことによるものだという。もちろんブーレーズは「シャールには言語の凝縮、すなわち現代詩にあってモデルとなるような特質、強靭さを体言する詩人だ」とこの詩人の「モラル」を首肯する。しかしこの美質は一方で、ほとんど暴力的なまでの難解さ、晦渋さの原因でもある。
そういった「語法」の問題に加え、さらに「内容」にもシャール独特の態度がある。ひとつはブルトンらのシュルレアリストたちとも共有した、超現実的な「驚異」──「偉大な現実」──への確信がある。

そのふたつは、アビラの聖テレサや「十字架のヨハネ」こと聖ファン・デ・ラ・クルスらキリスト教神秘思想化たちのものに似た「神秘体験」である。むろん非=キリスト者、さらには反=カトリックであったシャールにおいては、絶対者と融合し、一体化するその「忘我」、彼の言葉では「夜」の経験に現前するのが、まず人格化され、やがて神格化される<美>だったという違いがある。さらにこの「神秘体験」と結ぶかたちの、第四の事柄として、彼には詩作はたんなる文学的営為ではなく、それ自体聖なることであり、神的な側面をもっているという、いわば「ポエジーの宗教」と呼ぶべき意識が明瞭にうかがわれることがある。
これはドイツ・ロマン派以来の、またフランスではボードレール以後の一部の詩人たちにつながり、さらには彼の友人でもあったハイデガーの哲学にも通低する意識である。





西永良成『ルネ・シャールの言葉』(平凡社) p.18


これもわかるな。たしかにブーレーズの前衛性の一つには「通俗的な伝達性を読者への「追従」として徹底的に排除したことによるもの」があるかもしれないけれど、あの音楽には至高の<美>があると僕は思っている。それに「オペラ座を破壊せよ」とか「シェーンベルクは死んだ! ウェーベルン万歳!」など、かなり激烈なアジテーションを飛ばしているブーレーズであるが、その音楽は、激越というよりもとても耽美的に聴こえるし、実際僕はその音楽を「うっとりと」聴いている。

Boulez: Le Marteau sans maitre, Derive 1 & 2

Boulez: Le Marteau sans maitre, Derive 1 & 2



詩人は証拠の崩壊のたびに、未来の祝砲で応える。


<君主>としての詩人の義務とは、季節の中断と幸福な者たちの牛睡のあいだに、雲に扶けられ、ひとつの<芸術>、痛みから出て痛みに導く<芸術>を産み出すことだ。


愛、すなわちポエジーにおいては、雪は一月の雌狼ではなく、春の山鳩なのだ。


神々は隠喩のなかにいる。不意の隔たりに取りおさえられたポエジーには、監視のない彼方が付け加わる。



ルネ・シャール「ポエジーについて」

ルネ・シャールの言葉

ルネ・シャールの言葉




それと YouTube に Fnac 提供によるルネ・シャールについてのシンポジウムらしき映像があった。フランス語なので何言っているのかさっぱり「わからない」のだが──まさに「英語による」通俗的な伝達性を読者/視聴者への「追従」として徹底的に排除したものだ(笑)

Marie-Claude Char et Laurent Greisalmer évoquent René Char