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「君が代」、音楽としての出来ばえはどうなのか




長木誠司責任編集『季刊 エクスムジカ(ExMusica)』のプレ創刊号(3/2000)の特集は「国家・音楽」であった*1
特集論文のラインナップは、

  • 細川周平  踊るナショナリズム 「東京音頭」の輪と櫓
  • 橋爪大三郎 「君が代」を考える
  • 奥中康人  国民のつくりかた 伊澤修二:唱歌による身体の国民化
  • 植村幸生  田辺尚雄の朝鮮宮廷音楽調査(1921)が問いかけるもの
  • 西島央   国家としての「にっぽん」、故郷としての「にっぽん」─唱歌の国民的統合機能に関する社会学的一考察
  • 渡辺裕   近代国家日本の「国民劇」─宝塚と東宝の「戦時体制」
  • 井上さつき 共和国と音楽─フランス第三共和国初期の音楽助成


編集後記によると、「国旗・国歌法案」が1999年に国会を通過したという出来事を睨んでの特集だという。ここには、「音楽の立場」から「国民国家」や「ナショナリズム」に関する議論をどのように発信できるのか、という問題意識が強く打ち出されている。資料的にも貴重であり、読み応えのある論考が揃っている。

この中から橋爪大三郎の「君が代」に関する考察を見てみたい。
まず「国歌」とは、そして「国旗」とは、何か。橋爪氏によると、それらは、国家というものの相対性(並立)を認めたうえで、自国の国家としての絶対性を表現するための象徴であるという。

どの国家も国旗・国歌を持つ。そして互いに敬意を払う。これが、19世紀このかた、国際社会のルールというものである。民主主義国家だろうと独裁国家だろうと、このルールに従ってきた。日本も国家である以上、これに従うのは当然のことである。こうした国際社会のルールを、学校教育の場で教えるのは自然だし、必要なことであろう。

しかし議論が生じている。なぜ日本の国歌が君が代でなければならないのか(国旗が日の丸でなければならないのか)、である。逆に言えば、なぜ日の丸、君が代でいけないのか、である。
議論は二手に分かれる。

  • 日の丸・君が代が「歴史に汚れている」という主張がある──ならば、代わりの国旗・国歌が真剣に提案されたことがあるか? 日の丸・君が代に反対し拒否するだけでは日本国民としての主体性を組織できない、日本国民としての主体性がなければ新しい国旗や国歌を制定できない。
  • 日の丸・君が代は「慣習上」日本国の国旗・国歌として定着している、法律でそれらを国旗・国歌として制定すれば、さらにもっと定着するはずだ──そうだろうか? その立場は慣習よりも制定法に重きを置いているが、むしろ逆ではないか。制定法は議会で政権与党が多数を占めれば作り出せる、しかるに「慣習」は意思して作りだせはしないだろう。

日の丸、君が代がこのようなかたちで議論になるのは、戦後日本の抱える罪責感(ギルティー・コンシャス)に触れるからである。日の丸、君が代がよくないもののように思えるのは、日本国民が、日本国の成り立ちを、心の底から納得していないためだ。


大日本帝国の正統な後継国家である日本国の、主権者(当事者)であるという自覚を持つこと。大日本帝国との連続性を、歴史の負の遺産もろともに引き受けること。軍部や天皇や責任のある誰かを見つけ、非難することで罪責感を解消しようとするのではなく、むしろその罪責感をバネに、日本国の統治能力(民主主義の実質)を高めることに全力を注ぐこと。──こういう課題を、日の丸・君が代論争に、日本国民が受け止めることができるなら幸いである。


ここまでは左派系雑誌にも窺えるような言述である。が、『季刊 エクスムジカ』は音楽批評雑誌である。「君が代」という音楽についての評価が記されている。簡単に纏めよう。

  • 君が代」は、市民革命を経験しているフランスやアメリカの国歌に比べると大人しく穏当である。
  • 英国国歌(ゴッド・セイブ・ザ・キング)の「ロング・トゥ・レイン・オーヴァー・アス」のくだりは「千代に八千代に」とそっくりである。旋律の運びも似ている。
  • 君が代」は荘重であるが、盛り上がりそうで盛り上がらない「元気の出ない歌」として戦前・戦中は評判が悪かった。音楽的にも「調性感」が不安定である。だからレで始まってレで終わるメリハリがはっきりしている「海ゆかば」とセットで演奏された。「海ゆかば」は「君が代」と遜色のない由緒ある歌詞を持っているだけではなく、音楽的にも「君が代」より出来が良いのではないか。
  • ただ、「君が代」は斉唱しやすい面を持っている。「だらだらとした」音形であるため、音を外しても目立たない。高すぎる音もない。米国歌やフランス国歌に見られる「半音階の走句」は、ない。したがって段違いに歌いやすい。

確率論から旋律の進行を分析することができ、もっとも意外性に富む(それまでの旋律からつぎの音が予測できない)ものをホワイト・ミュージック、その反対(それまでの旋律からつぎの音がほとんど予測できてしまうもの)をブラウン・ミュージックという。ホワイト・ミュージックは、ホワイト・ノイズや実験音楽と同じで、まともな音楽には聞こえない。ブラウン・ミュージックは、その反対に、あまりに退屈に聞こえる。君が代はどちらかと言えば、ブラウン・ミュージックに近く、これといったサワリもない。でもだから、百年以上にもわたって国歌として持ちこたえてきたのではないか。

橋爪氏は、だからこそ、日本国民は主権者として国歌を選択する自由があるが「君が代」よりも「音楽的に優れている楽曲」を提案するのはダメだろうと述べる。求められるべき楽曲は「君が代」よりも「凡庸」なものでなければならない──しかしこれがなにより難しいだろう、と。



[National Anthems]

このサイトでは各国の国歌(National Anthems)を mp3 で聴くことができる。例えば日本はここ、フランスはここアメリカ合衆国ここ、ドイツはここ、で



世界の国歌

世界の国歌

スーパー・ワールド・クラシック2006 世界の国歌

スーパー・ワールド・クラシック2006 世界の国歌

ヨーロッパ国歌集

ヨーロッパ国歌集

*1:『ExMusica』は、どのメジャーレーベルの傘下にも属さない独立系のレコード会社、有限会社ミュージックスケイプが発行した「硬派な」音楽批評誌。某誌と違って広告はほとんどなく、専門性の高い論文が数多く掲載されていた──それゆえか残念ながら休刊してしまったが。