8分のアートフィルム。2000年1月1日、ミレニアムの朝。だから何? とオゾンは「何も起きない、平凡な」記念すべき朝を描く。
いつものようにベッドで目を覚ました男女のカップル。男は全裸でアパルトマンを歩き、隣のビルでセックスをしている男女を覗き、フロアーで抱き合って寝ている美青年二人(双子か)に魅入り、蟻の大発生に驚く。女はバスタブにつかり何とはなしに瞑想する。
それだけ……なのだか、映像がまさしく現代アートのように美しい。すなわち、いかなる「主観性」からも解き放たれ、ゆらめき自由に戯れる映像のニュアンスそれ自体が逆説的な「主題」なのではないのか。とくに主人公の男が寝袋に包まれて寝ている二人の男に遭遇する場面は筆舌に尽くしがたい。静寂が騒々しく官能美学に訴える。
キャンプ趣味は、芸術の中でも特にある種のものに縁がある。たとえば、衣服、家具、視覚的装飾のあらゆる要素といったものは、キャンプの中でも大きな役割を占めている。なぜならば、キャンプ芸術とはしばしば装飾的芸術のことであって、内容を犠牲にして、見た目の肌合いや感覚に訴える表面やスタイルなどを強調するものだからである。
スーザン・ソンタグ「《キャンプ》についてのノート」『反解釈』(高橋康也他訳、竹内書店新社)