五十嵐太郎の『建築はいかに社会と回路をつなぐのか』でセクシュアリティ関連の著作への言及がなされていた。その多くが邦訳のないものであり、個人的にも「建築」という非常に興味のあるテーマなのでそこからメモしておきたい。
- 作者: 五十嵐太郎
- 出版社/メーカー: 彩流社
- 発売日: 2010/01/20
- メディア: 単行本
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建築のジェンダー論といえば、かつてはドリス式の柱を男性の身体、イオニア式の柱は女性の身体にもとづく──というような古典主義に関するものしかなかった。しかし、五十嵐によれば、1990年代以降、他分野の影響を受けた新しい地平を切り開く言説が飛躍的に増えたという。
1989年にスミソニアン協会から刊行された『建築、女性のための場所』には、デニズ・スコット・ブラウン*1の興味深い文章「女性建築家は頂上に立てるか?──建築における女性差別とスターシステム」が収録されている。彼女はポストモダン建築家のロバート・ヴェンチューリ*2の妻であり、彼のパートナーとして語られることが多い。が、それゆえ、結婚後の自らの体験した性差別を語り、「偉大な芸術は男性によってのみ創造される」という社会の固定観念がいかに根強いものであるかを示す。共同作業だったとしても、あるいはたとえ彼女個人の仕事でも、批評家はそれを夫の業績としてしか見ないことが度々あったという。逆に悪影響は、彼女に帰せられる。そこでデニスは、男性をまつりあげるスターシステムが建築界に存在し、その制度によって女性は排除され続けているという。
このデニズ・スコット・ブラウン「女性建築家は頂上に立てるか?──建築における女性差別とスターシステム」の邦訳は『SD』1990年6月号「特集 女性と住環境」に収録されている。
ビアトリス・コロミーナ*3の企画によって1990年にプリンストン大学でシンポジウム『セクシュアリティと空間』(Sexuality & Space)が開催され、新たな建築の言説の境界が探究される。コロミーナは、その当時、プリンストン大学がレズビアンやゲイの入寮を認めることになったことに触れて、空間の政治学は性的なものであると述べる──空間は単なる抽象的存在ではなく、政治的に無色透明なものではないのだ。
Sexuality & Space (Princeton Papers on Architecture)
ビアトリス・コロミーナによれば、現代批評の理論が建築に導入されたとはいえ、性の問題はいまだ不在であり、フェミニストの理論も建築を無視してきたという。
またコロミーナは、絵画、写真、映画、テレビのように、建築も表象のシステムとして考えるべきだと主張する。そこでシンポジウムでは、建築以外の学者も参加し、脱構築、社会学、精神分析などの手法により、広い素材をもとに学際的な分析を行い、多様な分析の可能性が示された。
91年4月には、再びプリンストン大学で『建築──イン・ファッション』(Architecture in Fashion)の会議が行われた。これは直接的なジェンダー論ではない。建築とファッションの関係をテーマに掲げるが、歴史的にファッションは女性的なものと考えられてきたために、必然的にいくつかの考察はジェンダー論と交差する。たとえば、メアリー・マクレオドの論は、建築の歴史におけるファッションに関する言説を通して、建築モデルとしての女服(装飾的)/男服(機能的)を軸に近代を分析した。こうした視点は、建築とファッションの同時代性を並行して読み解く、MOCA*4の『スキン+ボーンズ』展*5にも共通するだろう。
『建築はいかに社会と回路をつなぐのか』 p.135
95年には『公共領域における女性』の年間会議を進行していたペンシルバニア大学で、建築に関する初の女性だけの学際的な会議『受け継いだイデオロギー 再・調査』が開かれ、後に『建築の性』(Sex of Architecture)という本にまとめられる。
Sex of Architecture
96年には『実践を欲望する』(Desiring Practices: Architecture, Gender and the Interdisciplinary)が刊行される。その中では、例えば、J.ボーイズは建築の知における男性合理主義的な思想を検証し、K.バーンズは「建築」の概念にまつわる男性的なアイデンティティを指摘する。J.レンデルはマルクス主義フェミニズムの方法を用いて、パサージュ空間における性と人種の問題を分析した。97年にはイエール大学のフォーラムから生まれた論文集『建築とフェミニズム』(Architecture and Feminism)が出版された。
- 作者: Katerina Ruedi
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Architecture and Feminism (Yale Publications on Architecture)
- 作者: Elizabeth Danze,Debra Coleman
- 出版社/メーカー: Princeton Architectural Press
- 発売日: 1997/01/01
- メディア: ペーパーバック
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そして96年にジュエル・サンダース*6編集による『種馬 建築と男らしさ』(Stud: Architectures of Masculinity)が出る。
Stud: Architectures of Masculinity
94年にプリンストン大学で発案されたこの本は、女らしさばかりを軸に再考してきた潮流に対抗し、男らしさを問う。だが、これが決して反動的な身ぶりにならなかったのは、開き直ったようなマッチョ・プレイボーイの空間分析、男子寮、生々しい身体性をあらわにする公衆用の男子トイレ、男性性を強化する装置としての建築、そしてゲイへのまなざしなどの斬新な視点による。たとえば、リー・エードルマン*7は、それは小便器ばかりが並ぶ窓のない部屋であるという*8。男たちは性器を表出しつつも、儀礼的な無関心を装いつつも、他者のまなざしを気にする。逆説的だが、男子トイレとは、男性のアイデンティティが不安になるような場所なのだ。
ゲイは、空間的な比喩によっても表現される。ヘンリー・アーバックの論文の題名にも使われた「クローゼット」の語は、通常、押入や物置を指しながら、秘密や隠れ場所も意味することから転じて、隠されたアイデンティティをあらわす*9。同性愛をテーマとした映画『セルロイド・クローゼット』もそうだ。ゲイの活動家の映画『ミルク』では、クローゼットから出ようと呼びかける。部屋と隣接する収納のための空間。かくして、19世紀中頃のアメリカに生まれ、家具と違ってとり外しができない作り付けの空間装置「クローゼット」はゲイの問題と接続し、クリステヴァが論じるところの「おぞましきもの」とみなされよう。それは部屋をきれいに保つための裏方として存在しつつ、汚いと思われながらも完全に排除できないものだから。さらにアーバックは、ビルトイン・、クローゼットの前進として、隠遁や思索の場などをあげ、居住可能な部屋だったと指摘する。
『アート・ジャーナル』誌も、ゲイとレズビアンの美術と美術史を特集したが、これは94年の会議「誰がクローゼットを建設したのか? 視覚文化と美術史の抑圧」を契機につくられた。特集は美術史における異性愛中心主義的な言説を批判し、それが過去の作品解釈をねじまげたり、同性愛的なものを抑圧したことを指摘する。
『建築はいかに社会と回路をつなぐのか』 p.138-139
『Stud: Architectures of Masculinity』は Amazon の「なか見!検索」で面白そうだったので、早速注文してみた。
また『Sexuality & Space』について調べていたら、同タイトルの以下のような画像を収集したサイトがあった。参考まで。
*1:Denise Scott Brown http://en.wikipedia.org/wiki/Denise_Scott_Brown
*2:Robert Venturi http://en.wikipedia.org/wiki/Robert_Venturi
*3:Beatriz Colomina http://en.wikipedia.org/wiki/Beatriz_Colomina 『マスメディアとしての建築 アドルフ・ロースとル・コルビュジエ』が邦訳されている。 マスメディアとしての近代建築―アドルフ・ロースとル・コルビュジエ
*4:ロサンゼルス現代美術館 MOCA | The Museum of Contemporary Art, Los Angeles http://www.moca.org/
*5:国立新美術館「スキン+ボーンズ-1980年代以降の建築とファッション」 http://www.nact.jp/exhibition_special/2007/skin_and_bones/index.html
*6:Joel Sanders http://www.joelsandersarchitect.com/
*7:Lee Edelman http://en.wikipedia.org/wiki/Lee_Edelman
*8:リー・エドルマン「メンズ・ルーム」。『10+1』14号「現代建築批評の方法 身体/ジェンダー/建築」(1998年)に邦訳がある。
*9:ヘンリー・アーバック「クローゼット、衣服、暴露」。邦訳は」『10+1』14号(1998年)。