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ジャン・ヌーヴェルのアラブ世界研究所



私は、もちろん自分が手品師だとは思っていないが、私が創造しようとする空間は解読できない空間であり、ひとが目で見ているものの精神的延長となるような空間でもある。


ジャン・ヌーヴェル──『les objets singuliers 建築と哲学』より*1


パリで最も魅力的な建築──魅力的な建築がある場所──の一つであるアラブ世界研究所*2。フランスの建築家ジャン・ヌーヴェル(Jean Nouvel、b.1945-)により設計、1987年に開館した。特徴的なアラベスク文様は、カメラの「絞り」(ダイアフラム)と同じメカニズム=装置が採用され、外光を自動調整する。セーヌ川に面した側はガラスの曲面ファサードになっている。イスラム文化イスラムアイデンティティを建築によって体現したと評価され、西欧圏でありながら、アガ・カーン建築賞*3を受賞した*4

Institut du monde arabe
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ところで、ジャン・ヌーベルはアラブ世界研究所でも見られるようにガラスという素材──その透明性ゆえあちら側を見通せるわけであるが、しかしその透明性ゆえにガラスそのものの存在が見え難くなってしまう──を多用するのだが、このことに対して、ジャン・ボードリヤールとの対談で弁明にも似た発言をしていたのが興味を惹いた。

ジャン・ボードリヤール たとえば、透明性という観念をとりあげてみよう。透明であることは、光との戯れや出現し消滅するものとの戯れを表現するという意味で、すばらしいことではあるが、同時に、検閲の巧妙な形態につうじているような印象を受ける。われわれの時代が魅了されているあの「透明性」の探究は、すくなくとも、それが権力と結ぶ関係においては両義的なものだ。


ジャン・ヌーヴェル もちろん、透明性が私のイデオロギーというわけではない! たしかに、透明性が誤って用いられれば、最悪の形態とみなされるだろう。私としては、現時点での建築の進展に関して興味深いのは、「素材と光」の関係であり、それはまったく戦略的な要素となる。私自身は、形式的な空間のパラメーターより、たとえばガラスの透明性や不透明性が暴露する物質と光の関係のほうがずっと面白いと思う。
二十世紀をつうじて、人びとはあらゆる技術の大規模な探索に没頭してきた。そしていま、自分たちがおよそどの辺りにいるのか、わかるようになったが、なぜ他の形態ではなくて、ある形態を選ぶのかは、よくわかっていない。


(中略)


ジャン・ボードリヤール しかし、君が望もうと望むまいと、そうした意味のイデオロギーは透明性の観念に含まれている。建築だけではなく、情報のあらゆる手段、情報自体についてのトータルな情報の手段にも、ふくまれている……。だから、透明性の独裁に対抗して、透明性の魅力や秘密を演出しようという発想、絶対的な可視性を強いるものに対抗して、見えるものと見えないものの戯れを提案しようという発想もまた、微妙な試みとなるだろう。権力の媒介項としてあらゆる秘密の廃絶を意図する、もっとも通俗的な透明性に屈服する建築も、数多いのだから。そのような建築は、秘密がもはや視線の一要素でないことを見せつけるのに役立つだけだ。


ジャン・ヌーヴェル 透明性に関して興味深いのは、消え去るという概念だ。




『les objets singuliers 建築と哲学』(塚原史 訳、 鹿島出版会) P.121-122、p.126

アラブ世界研究所の写真は Flickr にまとめてある。

*1:

les objets singuliers―建築と哲学

les objets singuliers―建築と哲学

*2:Institut du monde arabe http://www.imarabe.org/

*3:Aga Khan Award for Architecture (AKAA) http://www.akdn.org/architecture/

*4:アガ・カーン(アーガー・ハーン4世、Aga Khan IV)はイスラム教イスマイリ派のイマーム・族長であり、かつヨーロッパ社交界に君臨する大富豪。ちなみにイスマイル派には暗殺の語源にもなったアサシン・暗殺教団(Assassins)も含まれている。