原作はパトリシア・ハイスミス? いや、スティーヴン・キング。だけれども、この
舞台はデヴィッド・リンチの『ブルー・ベルベット』を思わすアメリカ郊外──何が起こってもおかしくないサバービアだ。優等生トッド・ボウデン(レンフロ)は元ナチの戦犯であることを隠しながらアメリカ人として暮らすクルト・ドゥサンダー(マッケラン)を介しナチスに惹かれていき、その「負の遺産」を引き受ける。 つまり彼は自分の持っている「邪悪さ」に目覚め、動物を惨殺することからやがて人を殺す快感を覚える……。
しかし『ユージュアル・サスペクツ』の監督がそんな単純な「ホラー」にするだろうか。ブライアン・シンガーはゲイであるがユダヤ人でもある。だからこそ元ナチ戦犯を「完全な悪」に「しない」こともできる(そして少年が指導教官にしたように「同性愛」を脅迫のネタにすることもできる)。それどころか、アメリカの郊外でひっそりとアメリカ人の振りをしながら「二重生活」をしているドゥサンダーは、自分の性的指向を隠しながら生活する同性愛者と同じような「弱者」として描かれている。そこにガールフレンドに「女が嫌いなんじゃない?」と揶揄される少年が加わり、一般的社会的に「邪悪」とされている「あること」(いちおうここではナチスへの関心が前面に出ているが、犯罪でも同性愛でも構わないだろう)を共有する──共犯になる。バックにワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』が流れるのは、殺人という甘美な「媚薬」によって二人は別ち難く結ばれることを暗示しているのだろうか。
だからこの映画の「素晴らしさ」(人によっては後味の悪さ)は、まさしくアメリカ的優等生として学校を主席で卒業する美少年が、実は残酷で人殺しでナチ・シンパで同性愛者であるということ、すなわちアンチ・ヒーローの誕生にある。トッドもトム・リプリーの仲間だ。