殺人の観念はしばしば海の観念、水兵の観念を呼び起こす。
ジャン・ジュネ『ブレストの乱暴者』(澁澤龍彦訳、河出書房新社)
まさしく正典、Gay Canon だ。ジャン・ジュネの小説をR・W・ファスビンダーが映画化したこの作品は、ゲイ・キャノンと呼ぶに相応しい。
ここでは殺人と男色がナルシスの鏡像のごとく向かいあい、互いに魅了しあい、熱狂を帯びる。瓜二つのロベールとケレルの兄弟は、いつも格闘している。
(狂気の)一方は肉体に発して精神に及ぶというもので、体内にある種の良からぬ液がまずある。そしてそれが、やはり体内を駆けめぐっている有害な蒸気と混じり合って生じる狂気。これは激しくて癒りにくい病気になる。
プルタルコス『愛をめぐる対話』(柳沼重剛訳、岩波文庫)
ブレストは異様な霧/熱気に包まれている。いつも熱い血潮のような夕陽に照らされている。その毒気に中った人物たちのアクションはひどく誇張され不自然で芝居掛っている。映画は独特の色彩感覚に彩られ、印象的なテクストが画面に映し出され、それが朗読される。
様式(スタイル)を強調することは、内容を軽視することである。あるいは、内容について判断を下さないような態度をとることである。
スーザン・ソンタグ『<キャンプ>についてのノート』(高橋康也他訳、竹内書店新社)
ブラッド・デイビス演じるケレルは、常に上半身を曝け出し、引き締まった肉体と野性的な体毛を誇示する。そして汗と油、石炭の汚れこそは雄々しさと精力を示すセックス・アピールに他ならない。そこに屈強な男ノノ、ハードゲイ/ポリスマンのマリオ、美青年ロジェ、ケレルへの愛をカセットに封じこめるセブロン、そしてロベールとケレルの兄弟に魅了されるリジアーヌの欲望が入り乱れる。
欲望というやつ、食べさせれば今日だけは満足するが、明日になればもとの鋭い力をとりもどす。
シェイクスピア『ソネット集』(高松雄一訳、岩波文庫)
ビリー・バッドが《人権号》の「花の水兵」ならば、ケレルは《復讐号》の「殺人の水兵」。麻薬の密売、それに絡む冷酷な殺人。そして愛する者を殺す美しい殺人者ケレル──同じ犯罪者として心を通い合わせ、初めて男とのキスを許し、「受身」から「能動」に転じその愛を捧げたはずのジルに、ケレルは、自分の罪を擦りつけ陥れる。野獣のようにエレガントで悪魔のようにスマートな水兵ケレル。
ジルはロベールと似ている──同じ俳優が演じている。
野獣は彼が予測できなかったときにとびかかった。
彼は自分の人生の<密林>を、さらに、そこに潜む野獣を見た。
ヘンリー・ジェイムズ『密林の獣』(北原妙子訳、平凡社ライブラリー)