HODGE'S PARROT

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"もちろんタンタンはゲイだ、スノーウィーに問うてみたまえ"



ベルギーの著名な新聞記者タンタン氏(Tintin、b.1929)はゲイではないのか、という情報が世界中を駆け巡っている。相棒のスノーウィー氏(英 Snowy、仏 Milou)にも証言が求められたようだ。


日本でも報じられた。[http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2556283/3668343:title=AFP によると]、

元英国会議員の英タイムズ(Times)紙記者マシュー・パリス(Matthew Parris)氏は*1、この漫画を注意深く読めばタンタンが同性愛者であることは明白だと言い切る。ちなみにパリス氏は自身についても同性愛者だと公言している。

「タンタンは両親や家族について決して語らない。父母の存在を否定しようとしているかのようだ」とパリス氏は指摘する。「心理学者も認めるように、これは若い男性同性愛者に共通する」

 パリス氏はまた、タンタンの職業は新聞記者とされているが、記事を書いている描写はほとんどないことも怪しげで、スパイではとの疑惑を強める。「英情報機関は、その活動が男性同性愛者を引きつけるという事実を肯定するだろう」という。


Of course Tintin's gay. Ask Snowy

As the remotest acquaintance with (for instance) British espionage will confirm, secret intelligence has always attracted gay men. I myself applied for and was offered a post in MI6.



……現代小説も探偵小説もその中心にあるのは同じ形式的問題である。その問題とは、出来事の「実際の」連続を表現すること、すなわち直線的に一貫して物語を語ることは不可能だという問題である。……。
探偵小説にはどこか自己反省的な緊張感がある。探偵小説とは、物語を語ろう、つまり、殺人の周囲および前に「本当は何が起きたのか」を再構成しようとする探偵の努力の物語であり、したがって探偵小説は、「誰が殺ったのか」という問いにたいする答えが得られたときに終わるのではなく、探偵がついに「真の物語」を直線的な語りによって語ることができたときに終わるのである。




スラヴォイ・ジジェク『斜めから見る』(鈴木晶 訳、青土社) p.99-100

読者への挑戦


「真理の山に登って」とニーチェは言っている。「徒労に終わることはない」
おとぎ話の世界は別として、山のふもとに立ち、その頂きに達することを望んだだけで、その登山に成功した者はいない。これは困難な世界であり、その達成には努力が必要である。
推理小説を十分に堪能するには、読者はある程度、探偵の足跡をたどる努力をする必要があるというのが、わたしのかねてからの考えである。その足取りの綿密な探求に苦労が多ければ多いほど、読者は究極の真理に近づき、その楽しみはいよいよ深くなるというものである。
すでに何年も前から、わたしは精密な観察と、えり分けられた事実にたいする論理の適用と、個々の結論の最終的な関連性を見ることによって、わたしの事件を解決するように読者に挑戦してきた。数多くの読者からあたたかいお手紙によって、わたしはこの挑戦を続けるようにはげまされた。まだ一度もやったことがない読者には、ぜひ試みられるようにお奨めしたい。




エラリイ・クイーン『スペイン岬の秘密』(大庭忠男 訳、ハヤカワ文庫) p.413 *2

Tintin and Snowy Album: v. 3

Tintin and Snowy Album: v. 3





[関連エントリー]

*1:Matthew Parris [Wikipedia]
ちなみにマシュー・パリスは「偶然の証言者/目撃者」(『Chance Witness: An Outsider's Life in Politics』)という本を書いている。

Chance Witness: An Outsider's Life in Politics

Chance Witness: An Outsider's Life in Politics

*2:

スペイン岬の秘密 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

スペイン岬の秘密 (ハヤカワ・ミステリ文庫)