HODGE'S PARROT

はてなダイアリーから移行しました。まだ未整理中。

『アザーズ』 The Others/2001/アメリカ 監督アレハンドロ・アメナバール

女性の魅力にはついては無頓着な僕ではあるが、この映画でのニコール・キッドマンは美しく非常に魅力的だった。スリムな姿態、すらりと伸びた手足、そして透き通るような白い肌。時代もののドレスをエレガントに着こなし、「この世のものと思われない」独特のオーラを放っている。名演だ。

映画も見事な「ひねり」の効いた名作であった。流血や残忍にシーンはまったくなく、しかも白昼を舞台にした大胆な設定のホラー。通常の心理的/超心理的な葛藤を逆手に取り、「闇の恐怖」ではなく「光の恐怖」から逃れるべく進行する強烈なサスペンス。そしてその帰結として判明する本当の真実。

この映画で素晴らしいのは、「真実」を知ろうとした「意志」によって、その「意志」ゆえに、根ざしていた「世界」が崩壊し、拠っていた「真実」が倒立してしまうこと。「この世界」と「その真実」を支えていたものが、これほどまでに危ういシロモノ──あえて言えばただの「勘違い」──でしかなかったという事実を突き付けられるところだ。この崩壊感、この倒立感、これが実にたまらない。この感覚こそがカタルシスであり、本格推理小説を読んだときの醍醐味にも通じる。

また『アザーズ』がヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』(THE TURN OF THE SCREW)に影響を受けていることは言うまでもないだろう。登場人物の設定、そのゴシック的な雰囲気、幽霊が「見える/見えない」という状況、限定された「主観的な視点」により展開されるドラマが最後にその「閉じられた世界」を「客観的な視点」に明け渡されたときに浮びあがる「真実」──ヒロイン(たち)はいったい子供たちに何をしたのか?
ジェイムズの小説では、存在しない幽霊が存在するように見せかけ信じ込ませることが「ひねり」(ターン)であった。では『アザーズ』の「ひねり」(ターン)はなんだろう。