優美このうえないシャーリイ・ジャクスンの小説を、『スピード』『ツイスター』の監督が撮ると、こうなる。つまり、「幽霊」を「実体化」させ、派手に暴れさせる。
これは映画として「見せる」場合、仕方ないのだろう。ジャクスンの小説もヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』と同様、妄想と現実の「曖昧さ」を読者に想像させ、繊細な心理描写の積み重ねにより、不安を誘う類の小説だからだ。多分、ヤン・デ・ボンは『ねじの回転』を映画化したとしても、幽霊を実体化させただろう(『ねじの回転』をオペラ化したベンジャミン・ブリテンも「幽霊」を「実体化」させている)。
とすると、小説が持っていた「恐怖の何か」や「不安感」は稀薄になり、別な「見所」を探さなくてはならなくなる。この映画の見所はその幽霊屋敷が見事に「実体化」されたことだろう。これだけゴージャスなセットとCGを使った凝った映像はさすがだと思う。またジャクスン小説にどことなく──曖昧に──匂っているレズビアニズムも、ゴージャスなキャサリン・ゼタ・ジョーンズ起用と彼女のあからさまな「モーション」によってなんとも明快にカミングアウトされる。
そして何より、精神的な病理現象は、逐一、形象を与えられ、理由が与えられ、孤独で病んだ主人公は「邪悪」に立ち向かう「正義のヒーロー/ヒロイン」となる。
この映画はある種の「アクション映画」なのかもしれない。