- アーティスト: ブーレーズ(ピエール),チェンゲリ(アドリアン),ジョン・オールディス合唱団,クルターグ,バードウィスル,グリゼ,ブレーズ(ピエール),アンサンブル・アンテルコンタンポラン,ファビアン(マルタ)
- 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
- 発売日: 2003/02/19
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……あ、これって最初はオリヴィエ・メシアンの《クロノクロミー》*1みたいだけど後半はピエール・ブーレーズの《エクラ - ミュルティプル》*2のような感じだな、と思った。フランスの作曲家ジェラール・グリゼー(Gérard Grisey、1946 - 1998)の《33奏者のためのモデュラシオン、Modulations pour trente-trois musiciens、英 Modulations for 33 musicians》(1978)を初めて聴いたときの印象である。
大抵の(現代)音楽ファンは、グリゼーよりも「先に」メシアンやブーレーズを聴いていると思うので、メシアン→ブーレーズへの「モデュラシオン(変調)」という気の利いた洒落──と個人的に思いこんでいる──を理解してくれるだろうと期待している。が、メシアンやブーレーズの曲を聴いたことのない人には、このグリゼーの《モデュラシオン》を聴いた「感じ」を、どう説明しよう。
ブックレットには作曲家自身による次のような解説が載っている。
〈モデュラシオン〉の素材はそれ自体の中にはないが、絶えず変化し今にも逃れようとする純粋な音響発展の中に純化されている。すなわちすべては動いている。この緩慢でダイナミックな流れにおける唯一の道しるべは、E音(41.2ヘルツ)上の倍音スペクトルと周期的持続である。聴くものにとってぜひ必要ならこれらの参照事項のおかげで、音程を識別し、音程や複合音の不協和の度合を評価し、不規則な持続の程度を測ることができる。
この作品の形式はそれを構成している音の話そのものである。音のパラメータは向き付けられ、いくつかの変調の過程を生み出させる。すなわち、倍音スペクトル、部分音、トランジェント、フォルマント、付加音、微分音、ホワイト・ノイズ、フィルタリングといった音響上の発展を用いる過程である。
(中略)
私は本源的な時間、すなわち時計の刻む時間ではない心理的時間、及びその相対的価値にいっそう近づいたと思っている。
引用したのは、ほんの一部である。約19分の音楽に様々な要素がつまっている……ようだ……わかったような、わからないような……すみません、「メシアンっぽい」「ブーレーズっぽい」という言い方は、明らかに乱暴でした。というか、このグリゼーの作品についてほとんど理解していませんでした。せめてウィキペディアぐらい参照しておくべきだった──それによるとジェラール・グリゼーは、「音楽を音波として捉え、そこに含まれる倍音のスペクトルに注目する」スペクトル楽派と呼ばれる作曲家の一人で、
グリゼーの音楽思想の最初の集大成と言える「音響空間」は、ヴィオラソロのための「プロローグ」、7人の奏者のための「ペリオド」、18人の奏者のための「パルティエル」、33人の奏者のための「モデュラシオン」、管弦楽のための「トランジトワール」、そして4本のホルンと管弦楽のための「エピローグ」と、徐々に編成が大きくなる計6曲からなる。これらは全曲にわたってミ(E)の音の倍音に基づいて書かれており、純粋な倍音から噪音(ノイズ)を多く含む音、そして完全なノイズに至るまでの、さまざまな音響スペクトルの推移を描いている。
う、難しい。ただ、僕は、ヴァイオリンを習っていたこともあり、E線を含むヴァイオリンの調律に、コルグのデジタルチューナーを使っていたので(本当はAの音をもらって二つの弦を鳴らして耳で調弦する)、なんとなくわかるような、わからないような……
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でも……これらのテクストを読んでも、グリゼーの作品に対して、個人的に思いつく言葉は<変調>でしかない。Eの音がまずあるよね。それが純粋な倍音→ノイズを含む音→完全なノイズに<変調>するんだよね。「絶えず変化し」「すべては動いている」も<変調>だよね。そもそも、フランス語で<モデュラシオン>を英語で<モデュレーション>と発音(スピーク)した時点で音のスペクトルは変調するよね──スペルは同じだけど、次に pour がくるか for がくるかで「Modulations」のスペクトルは変調する。それに……フランス語に疎い僕にとって、Grisey を「グリゼ」と呼ぶのかそれとも「グリゼー」の伸ばすのか一つとっても「心理的な」圧迫を感じてしまう……
ところでグリゼーさんが「時計の刻む時間ではない心理的時間、及びその相対的価値にいっそう近づいた」とベルクソンみたいなことを書いているけど、そういえば、個人的な体験では、ベートーヴェンのピアノソナタ第17番《テンペスト》の第一楽章を人前で弾いたときも、ちょっと時間の感覚に「心理的な変調」をきたしたなと思っている。あの弛緩とダイナミズムが交代する音楽。そしてダンパーペダルをかなりのあいだ踏みっぱなしにする大胆な音響──指示通りにペダルを踏めば、確実にノイズを含む(濁る)。CDを聴いても、リヒテルとポリーニ、アシュケナージの「音の伸ばし方」はそれぞれ大分違うしな……
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