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『ラズベリー・ライヒ』、Join the homosexual intifada!



ラズベリー・ライヒ [DVD]

ラズベリー・ライヒ [DVD]


その「過激な」映画、ブルース・ラ・ブルース/Bruce LaBruce の『ラズベリーライヒ』(The Raspberry Reich)を楽しんだ。そう、まさに「楽しんだ」という言葉がしっくりとくる。なぜならばゲイ・ポルノとしての「実用性」を全面的に満たしているからだ。何より演じているのがハンサムな実際のポルノ男優であるし。つまり……。

[The Raspberry Reich]

僕にとっては「そのような」セクシーな映画であるのだが、しかし他の人にとっては、別の要素にも注目がいくかもしれない。いや、僕にしても「すっきりした状態」でこの映画を観れば、別の側面がクローズアップされてくると思う──ただしそれは非常に困難だ企てだ、だって画面にクロースアップされるのが……なんだもん。
でも少し努力してみる。

この映画の構成としては、ドイツ赤軍バーダー・マインホフ・グルッペ(Rote Armee Fraktion, RAF, Baader-Meinhof Gruppe)を模倣し、パロディ化している。現代の極左テロ組織を自認している革命集団「ラズベリーライヒ」。メンバーはチェ・ゲバラを始めとする実在の革命家にちなんだ名前で構成されている。彼らの大義は、ここでは、同性愛解放になっている。
性革命なくして真の革命はない、同性愛革命なくして性革命なし、である。ラズベリーライヒのリーダーである女性闘士グドルン*1”同性愛蜂起と共闘せよ!”(Join the homosexual intifada!)”異性愛は大衆の阿片である”(Heterosexuality is the opiate of the masses)と叫び、革命のために同性愛行為を「同士たち」男性に徹底して実践させる。

その「実践」の場面に特徴がある。それが通常のポルノとの差異であろう。それは何かと言えば、男同士の性行為のシーンで、画面が赤くなったり反転したりハレーションを起こしながら、そこにマルクスやマルクーゼ、ウィルヘルム・ライヒらの言葉が強烈にアジテーションされ、実在の先輩革命家たちへの熱きオマージュがなされるのだ。それが、僕にとって見慣れた光景が、一転、非日常的に見える。そういった非日常的な言説を介在して同性とのセックス(あるいはゲバラの大きなポスターを背景に行う、自分自身の「銃の整備」)を「意味づけ」「目的化」し、それを了解する──そういったこと自体をパロっていながら(したがってこれは「単なる」ポルノでは「ない」と示しながら)、しかしそれがもう一転し、左翼言語を効果的に配置しながらまったくのポルノ的展開を見せる。手段の目的化。理論の応用。革命と同性愛は、複雑な理路を経ずに、見事に弁証法的に統一を果たす。それが歴史的な発展である。”The Revolution is my boyfriend!”

新しい社会を具体的に記述しようと欲することが不条理であることを隠さずに、マルクーゼは、その社会の構成要素を素描して、神話の暗示力を使おうと試みている。


経済的な面では、労働はいっさいの強制的性格を失って、遊びか本能の充足になるであろう。
人間的な面では、個人的欲求が自由に表現されるであろう。性の革命は、死の本能、タナトスにうち克つことのできる生の本能「エロスに性本能が転化すること」を可能にするであろう。社会はもはや、自然を統御するための人間の努力を象徴しているプロメテウスの星のもとにではなく、解放、快楽と美を象徴しているオルフェウスの星のもとにあることになるであろう。




ピエール・ファーヴル、モニク・ファーヴル『マルクス以後のマルクス主義』(竹内良知 訳、白水社文庫クセジュ) p.162-163

ところでラズベリーライヒは、先輩赤軍を真似てドイツ有数の資本家──人民の敵──の息子パトリックを誘拐し捕虜とする。しかしパトリックはゲイで、父親にそのことをカミングアウトしたために勘当され家族によってほとんど監禁状態にあった。だから彼はラズベリーライヒの思想に「共鳴」するまでもなく、メンバーらと「実践」する(パトリシア・ハースト/Patricia Hearst の誘拐事件を模しているようだ)。
ところがパトリックはメンバーの一人、クライドと「できて」しまう(実際は誘拐の前からすでに二人は「できて」いたのだが、本当に「できて」しまうのは、テロリストと捕虜という(権力)関係になってからである)。二人はグループを裏切る。彼らは逃亡する。愛のために。
ここにおいてラズベリーライヒの革命は頓挫してしまった。革命は、テロリズムは、愛に敗北する。

目的が実現されていないとの錯覚は人間の生活のうちに生じるもので、しかし同時に、それがあるから、世の中の利害得失にかかわる活動が生じるのです。理念はその運動の過程でみずから錯覚をつくりだし、自分のむこうに他なるものを設定し、そして、みずからの行為によってこの錯覚を解消していきます。そうした錯覚からしか真理が生じることはなく、真理のうちで錯誤や有限との和解がなされる。克服されゆく他なるものや錯誤は、それ自体、真理にとって不可欠の要素であり、真理は結果としての真理となることで、はじめて真理たりうるのです。




ヘーゲル『論理学』(長谷川宏 訳、作品社) p.411

数年後。
パトリック&クライドのカップルは、銀行強盗として名を馳せる。ある者は中東で活躍する。そしてゲイ・バーの「テロリスト・ナイト」で革命家たちは再会する。「昔のことが懐かしくなって」とか言いながら、バーにいる男とできていく……。すっかりブルジョワ風の夫婦になったグドルンとホルガーは子供をつれて街を歩いている。ただし乳母車にはレインボー・フラッグが貼ってあり、赤ん坊*2にかつての赤軍ら革命家たちの歴史を熱心に物語っている……。


すべての左翼の人へ、真の革命兵士を目指して、そしてかつての左翼の人も、つまりこの映画で……。

*1:RAF のグドルン・エンスリン/Gudrun Ensslinにちなんで命名

*2:ウルリケ・マインホフ/Ulrike Meinhofにちなんで命名