HODGE'S PARROT

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硬直したペニスの痕跡

岩波文庫からレヴィナス『全体性と無限』(熊野純彦 訳、ISBN:4003369114)が出たので、熊野純彦レヴィナス入門』と合田正人レヴィナスを読む』を拾い読みをしていたら、リュス・イリガライが結構辛辣にレヴィナスを批判しているのだった。

しかし、これまでの考察は、「レヴィナスにとっては結局、男だけが主体であり自由である」というボーヴォワールの『第二の性』での指摘の正しさに加えて、フェミニズムの論客リュス・イリガライ(1954− )の次のような指摘の正しさをも証示しているように思われる。
レヴィナスは愛撫に歓びを見いだすが、他者としての女性的なものについては、女性的なものが準-獣性の暗闇に沈みこむがままにしてそれを見捨て、男たちだけの内輪の社会での責任へと回帰する。彼にとっては女性的なものは、人間としての自由とアイデンティティをもつ者として尊敬されるべき他者ではない。(……)この点で、レヴィナスの哲学には倫理がおそろしく欠如している」(「エマニュエル・レヴィナスへの質問」)




合田正人レヴィナスを読む』p.179

このイリガライが語る「準-獣性」という言葉に注目したい。それは「女性的なもの」だけではなく「同性愛的なもの」も「獣性」と結び付けられてきた経緯があるからだ。

現代では同性愛は差別的に病的・退廃的・倒錯的と語られることはあるが、野蛮・野獣的と語られることはない。本書に収録した作品で同性愛を<野獣>と結びつけるものがふたつあるが*1、それは作品が植民地帝国主義オリエンタリズムの時代に属していることの証拠でもある。フォスターの「永遠の生命」も、西洋の白人(宣教師)と原住民の族長との同性愛関係のなかに、同性愛を野蛮とみる時代的特殊性が影を落としている。




大橋洋一『ゲイ短編小説集』解説よりp.388

とすると、イリガライの「エマニュエル・レヴィナスへの質問」で言及される「男たちだけの内輪の社会」とは、セジウィックの「ホモソーシャル」概念と近いかもしれない。すなわちホモフォビアミソジニーで成立する連帯社会だ。

さらにイリガライの批判から示唆を受けるのは、「やおい」における同性愛の野蛮化・野獣化である。「レイプされてハッピーエンド」というのは、「人間としての自由とアイデンティティをもつ者として尊敬されるべき他者では<ない>」からこそ可能になる<セリフ>だ。
「自分たちが傷つくから/傷つかないように」同性愛関係を流用するということは、同性愛者は「傷つけてもかまわない<他者>」であるということだ。

そしてここに「オリエンタリズム」と「スペクタクル化」を加えれば、それは「やおい」という「差別ポルノ」の誕生を物語るものなのではないか。未だに<蔑称>を平然と使用している「やおい関係者」の言動を鑑みれば、それは明らかだ。

ゲイ短編小説集 (平凡社ライブラリー)

ゲイ短編小説集 (平凡社ライブラリー)

*1:ヘンリー・ジェイムズ『密林の獣』、サキ『ゲイブリエル-アーネスト』