HODGE'S PARROT

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リゲティ《悪魔の階段》



難曲中の難曲、ジェルシー・リゲティ(György Ligeti、1923 - 2006)作曲によるピアノのためのエチュードより第13曲《悪魔の階段》を YouTube に投稿している猛者がいた。しかも、大胆不敵にも、魅せる「演出」付き──体育会系ピアニストだなあ(ジーンズにタンクトックだし、笑)

Greg Anderson plays Ligeti Etude 13: "The Devil's Staircase"



僕はプレイヤー・ピアノ(機械ピアノ)版のCDを聴いているので、それに比べると、この演奏はテンポが遅い。だが、何と言っても、生身の人間がこの曲にチャレンジしている、人間の限界に挑んでいる、というのが素晴らしく感動的だ。
「人間」も捨てたもんじゃないと思う。

これらの素材(コンロン・ナンカロウの機械ピアノ、YAMAHAシンセサイザーDX7)による刺激から彼は創作態度を取り戻し、「ピアノ協奏曲」、「ヴァイオリン協奏曲」、「ピアノ練習曲集」などで全く新しいポリリズムを追求し続けた。ピアノ練習曲集の第一巻の初版のテンポ設定は人間を無視した極論であった為に、多くのピアニストが自由にテンポを変更して演奏する時期があったなど挑発性が復帰し、様々な点に於いて才気が蘇った。「ナンセンス・マドリガルズ」や「マージャル・エチュード」のような声楽作品でも、アンサンブルの限界とユーモアが追求されている。




ジェルジ・リゲティ [ウィキペディア]

リゲティは、どうやら終始一貫、ある種の空間感覚と時間感覚にとらわれ続けているかのようである。宇宙そのものというべき時間感覚を、かれはなんらかの媒体を通じて音楽的に表現しようとする。初期の「トーン・クラスター」は、おそらく、その宇宙的感覚のごく始原的な表現であったのであろう。
それが、しだいに、かれ自身の器量の増大とともに、より明確な秩序と混沌の論理としてとらえられるようになり、あわせて宇宙的パルスともいうべきリズム感覚まで表現してみせるところまでいたった。





矢野暢リゲティの「雲」と「時計」』(音楽之友社『20世紀音楽の構図―同時代性の論理』より)p.52


いちおう「人間(性)を排除」した──といっても「セッティング」は人間(パフォーマー)がするのだけど──リゲティ作品も紹介しておこう。有名な100台のメトロノームのための《ポエム・サンフォニック》(1962)だ。
人間の手を経ることなく、メトロノームと聴衆がダイレクトに向かい合う。100台のメトロノームが一斉に、それぞれは「正確な」リズムを刻みながら、鳴り響く(最大のエントロピー)。しかし次第に一台、一台と止まってゆき、ついに最後の一台が残される。それによって、100台のメトロノームからなる予測できない秩序のパターン(無秩序、混沌)から、完全に予測できる最後の1台のメトロノームのパターン(秩序)を感知することになる。

György Ligeti - Poème Symphonique For 100 Metronomes




Mechanical Music

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