HODGE'S PARROT

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霊感は、日々の努力の賜にすぎない



作曲家、矢代秋雄の音楽論集『オルフェオの死』を読んでいるのだが、すごく面白い。忌憚のない発言がどしどし出てくる。例えばアンドレ・ジョリヴェに対してなんか「はっきり言ってしまえば、大嫌いである。まず、私はこの人の顔が嫌いだ」と、冒頭からテンションが高い(笑)。

もう少し「冷静な」考察を記しておきたい。『ラヴェル考』というモーリス・ラヴェルについての論考だ。1957年11月号の「フィルハーモニー」に掲載された。
何よりドビュッシーラヴェルの違い──ラヴェルは、ドゥヴュッシーのとなりに座らせられた時に、最も、すわり心地が悪かったであろう」──が明快に述べられる。
ドビュッシーは偉大なる破壊主義者であった。が、ラヴェルは違う。チャイコフスキーのような、歌い出したくなるようなメロディがそこにある。リズムにしても、ドビュッシーのようにトランキライザーを飲みもせず」「ヒロポンを注射したり」もしなかった。伝統的な形式を愛した(具象的表題を持った曲においてもだ)。ハーモニーも恐ろしく伝統的でアカデミックでさえある。シェーンベルク一派を「不協和音派」と呼んで嫌っていた……。
要するに、ラヴェルが愛したのは「完全な音楽」であった、ということだ。革新的作曲家などでは決してなかった。

工房の時計屋というたとえが、ラヴェルに一番ピッタリである。そして、魔術師とか、錬金術師とか言う言葉ほど、彼にふさわしくないものはない。
若い作曲家たちに、ラヴェルは言った。
「ちょっとした努力次第で、あなたがたのだれもが、私のようになれますよ。」
似たようなことを言ったのが、バッハであったのは興味深い。バッハは、
「私ぐらい努力すれば、だれでも、私ぐらいにはなれる。」と言った。
なる程、バッハも時計屋であった。そして魔術師ではなかった。バッハの作った時計は、頑丈な、大きな柱時計や、ふたのついて、分厚い懐中時計などであった。ラヴェルの作るところの時計は、洒落た文字盤つきのオルゴール仕掛けの目覚ましや、鳩が舎から出て「ククウ・ククウ」と時を告げるものや、シックなデザインの腕輪に仕掛けたものであった。ところが、あまりにも精巧な時計は、魔法だと思われることがよくある。平賀源内の万年時計を見た当時の人が、源内を、魔術師だと思ったのも無理はないが、明らかに誤解である。


ラヴェルは、自分が丹誠こめて作った時計が、世の中で、もてはやされ、「何て精巧なんだろう」「何て器用な人だろう」「人間業ではあるまい」などという評判を知らぬげに、再び工房に閉じこもって次の時計を作る準備をするのである。
「霊感は、日々の努力の賜にすぎない」という、ボードレールの言葉は、常に、ラヴェルの座右銘であった。






矢代秋雄オルフェオの死』(音楽之友社) p.73-74

音楽選書(73)オルフェオの死

音楽選書(73)オルフェオの死




ちなみに矢代秋雄のCDは、Naxos から出ているピアノ協奏曲と交響曲が手頃だと思う。

矢代秋雄:ピアノ協奏曲/交響曲

矢代秋雄:ピアノ協奏曲/交響曲


ここのところ Naxos のCDばかり取り上げていて「回し者」だと思われているかもしれないが(笑)──だって英国音楽って、ブリテンが Decca からまとまって出ている以外、なかなか容易く手に入らないので──でもきちんとした理由がある。
それは、この「日本作曲家選輯」シリーズの解説、片山杜秀氏の文章が読み応えがあって、とても参考になるからだ。これは文化的偉業に他ならない。
片山氏によれば、この矢代のピアノ協奏曲と交響曲セザール・フランクの影響があり、作曲者自身「音楽の原点はフランクだ」と述べたこともあるのだという。矢代は、東京にあるフランス系カトリックの学校、暁星中学に通い、そこでフランス語教育を受けた。