HODGE'S PARROT

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駄目PV100選7  Pulp - これこそハードコア



「クール・ブリタニア」の黄昏を予言するかのような音楽。それが Pulp(パルプ)の≪This Is Hardcore≫だ。同名アルバム『This Is Hardcore』(1998)に収録。


Pulp - This Is Hardcore



ギャングとブロンド美女、そして殺人。フィルム・ノワールのパロディのような、アンニュイで陰惨なドラマを、いかにも「それらしく」撮っていて、笑わせてくれる。後半では、ヴォーカル(主人公)が、女性たちの作る「円」の中で、まるで子宮で眠る胎児のように安らんでいるのも、なるほど、俗流精神分析的解決を欲しているようだ。

フロイト的身体―精神分析と美学 攻撃性は、文化社会が下す一つの「理想的命令」に説明をあたえる試みとして、(フロイトの『文化への不満』の)テクストに導入されている。その命令とは「汝の隣人を汝自身のように愛せ」である。なぜ文化はカップルのためだけにリビドーを取っておくことができないのだろう? 共同体全体がリビドーを軸に結びつかねばならないことが強調されるのは、どうした理由からだろう?


三頁から四頁にわたる論述のなかでフロイトは、普遍的な愛という道徳的命令にたいする合理主義的攻撃(すべての人々が、自分の愛に適っているわけではなく、分け隔てのない愛は、愛の対象にたいする侮蔑行為である、などの攻撃)から精神分析的な説明へと移行する。
それは、道徳的命令から神秘性を取り除くと同時にそうした命令に正当性をあたえるための説明でもあった。


他者を愛することができないからこそ他者を愛せ、と私たちは命じられている。「隣人を愛せ」とは、「本来をいえば人間の本性にこれほど背くものはないということを唯一の存在理由にしている、あの理想的命令をもちだす」ことなのだ。
したがってそれは、私たちが隣人を愛することではなく、むしろ彼らを利用し、彼らから奪い、彼らを犯し、彼らを殺すことを迫っているのだ、とフロイトは記している。





レオ・ベルサーニフロイト的身体』(長原豊 訳、青土社) p.36


This Is Hardcore (Dlx)

This Is Hardcore (Dlx)



ま、「一般大衆」(Common People)のノーテンキさも好きだけど。ポップ・アートのような色彩感覚がグッド。
Just What Is It that Makes Today's Homes So Different, So Appealing?” by Richard Hamilton


Pulp - Common People



Different Class (Dlx)

Different Class (Dlx)





ところで、僕がこのブリットポップの代表とも言える Pulp を知ったのは実はつい最近のことで、以前エントリーしたように、トム・ケイリンの「レオポルドとロープ」を題材にした、耽美的でノワールなゲイ・ムーヴィーに『This Is Hardcore』をクロスさせた YouTube ならではの映像に遭遇したからだ。
この素晴らしいビデオを観ると、ネットの世界には凄い才人がいるな、とつくづく思う。


Swoon (1992) Vid - This Is Hardcore


人殺しというやつはなにをするか分らない、とわたしは考えていた。たいていの人殺しは、自分でもよく説明のつかない、妙に空想的なことを実行に移すものだ。新しい未来への障害となっていると思いこんで、べつだん嘆き悲しむいわれもない過去を消そうとする。他人を殺すことによって、死の恐怖に打ち勝とうとする。そして古い不吉な悲しみをどこかに埋める。その悲しみはやがて芽を出し、繁殖し、ついには破壊者を破壊するのだ。




ロス・マクドナルド『縞模様の霊柩車』(小笠原豊樹 訳、ハヤワカ文庫、asin:415070502X)p.272



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