HODGE'S PARROT

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ブクステフーデ≪我らがイエスの四肢≫



ディートリヒ・ブクステフーデ/Dietrich Buxtehude(1637-1707)のカンタータ≪我らがイエスの四肢/Membra Jesu nostri≫BuxWV75を聴いた。演奏は、トン・コープマン指揮アムステルダム・バロック管弦楽団

Buxtehude: Membra Jesu Nostri

Buxtehude: Membra Jesu Nostri


  1. 足について/Ad pedes <よきおとずれを伝える者の足 山の上に見ゆ> 
  2. 膝について/Ad genua <汝等はその両腕に抱かれ> 
  3. 手について/Ad manus <汝の両手の間の傷は何ぞや>
  4. わき腹について/Ad latus <わが友よ わが美しき者よ>
  5. 胸について/Ad pectus <いま生まれし嬰児のごとく>
  6. 心について/Ad cor <わが妹わが新婦よ 汝はわが心を奪えり>
  7. 顔について/Ad faciem <汝の僕の上に聖顔をかがやかせ>


この曲は、上記のように、十字架に処せられたイエス・キリストの身体に関係する部分が聖書から採られ、構成されている。7つのカンタータはすべて、3曲からなるアリアが、同じコンチェルトによって囲まれるシンメトリーな構成になっている。さらに脇腹を中点とした前半の足、膝、手に対する後半の胸、心、顔という、やはりシンメトリーな構図。このシンメトリーは容易く十字架を想起させるものだ。

「あなたの胸にあるこの傷はどうしたのか」と問われると、「それは友人の家で受けたものだ」と答えるであろう。




ゼカリア書13(新共同訳『聖書』より)


そういった聖書の言葉に、中世の神秘主義者ベルナール・ドゥ・クレルヴォー(クレルヴォーのベルナルドゥス/Bernard of Clairvaux)のものと伝えられる『リュトミカ・オラツィオ/Rhythmica Oratio』のテクストが付け加えられる。音楽は必然的に受苦=情熱(パッション)、神秘、瞑想に彩られる。
解説で久保田慶一氏は次のように記している。

十字架上のイエスの苦しみは神の愛に変わり、信仰者個人の内面的な喜びとなっている。まさしくこれが、神との合体を目的とした神秘主義であり、イエスとの内面的な対話を重視した敬虔主義ではなかったか。

BUXTEHUDE/ MEMBRA JESU NOSTRI

BUXTEHUDE/ MEMBRA JESU NOSTRI

主よ、わたしはなお、あなたに信頼し
「あなたこそわたしの神」と申します。
わたしにふさわしいときに、御手をもって
追い迫る者、敵の手から助け出してください。
あなたの僕に御顔の光を注ぎ
慈しみ深く、わたしをお救いください。




詩篇31