HODGE'S PARROT

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力と光の波のように……苦悩に満ちながらも晴朗な波……愛に満ちた偉大な太陽に向かって




イタリアのブロディ首相が辞任するというニュース──BBC は「イタリアの危機」(Italian crisis talks as PM quits)と報じている。

<イタリア>プロディ首相、政権分裂で辞任 大統領再指名か [Yahoo!ニュース/毎日新聞]

アフガンには北大西洋条約機構NATO)の指揮下でイタリア軍兵士約1900人を派遣中。政府は駐留予算の更新を先月の閣議で決めたが、共産党系などは撤退を求めて反対、政権内で不協和音を引き起こしていた


 プロディ氏は中道左派勢力を率い昨年4月の総選挙で、ベルルスコーニ前首相率いる中道右派勢力に小差で勝利し、同5月に首相に就いた。だが、9党による幅広い連立は、当初から分裂の危機が懸念された。今年に入りイタリア北部ビチェンツァの米軍基地拡張を政府が認めたところ、緑の党共産党系が反対、外交面で亀裂が生じ始めた。


もちろん、イタリアの<左派>は、「不協和音」や「分裂」、「亀裂」ごときに怖気づいたりはしないだろう。何しろイタリアは、ルイジ・ノーノという凄絶な音楽を書いた作曲家を産んだのだから……そう願いたい。

その願いを胸に、ルイジ・ノーノ(Luigi Nono、1924 - 1990)の音楽を聴いた。

COMO UNA OLA DE FUERZA

COMO UNA OLA DE FUERZA


収録曲は、

  • 力と光の波のように/Como una ola de fuerza y luz (Like a wave of strength and light, 1971-72)
  • 苦悩に満ちながらも清朗な波…/...sofferte onde serene... ...serene waves suffered..., 1976)
  • コントラプント・ディアレティコ・アラ・メント/Contrappunto dialettico alla mente(1968)


クラウディオ・アバド指揮&バイエルン放送交響楽団マウリツィオ・ポリーニ(ピアノ)、Slavka Takova(Sp)他の演奏。

↓の感想は以前別のところに書いたものの再録である。



Luigi Nono 急進的左翼で「在り続けた」イタリアの作曲家ルイジ・ノーノ
彼は、当時のソ連──(ガキでもわかる)社会主義リアリズムを押し付けたソ連──が糾弾した「前衛(アヴァンギャルド)芸術」の先端を突っ走っていった。
政治的前衛という立場と音楽的前衛という立場を同等に置き、ノーノは革命的な政治/音楽の究極を目指したのだった。

音価値や持続を制御するために様々な試みがなされた。ノーノの例は、シュトックハウゼンの前述の例*1のように、いつも一元論的ではないし、パラメーター間の互換性も乏しい。彼の《中断された歌Ⅱ Canto sospeso(1956)≫では、冒頭に提示される九ケの音がことごとく十の音価をもっている。しかし、その単位がすべて異なっているので、同じ長さの持続をもつ音はない。この方法はもっと徹底して用いられる。


その一例として≪ヴァリアンティ Varianti(1957)≫では、しばしば同じ音高を数人の奏者が同時に奏するが、これらはすべて異なった単位の同じ倍数をもっている。たとえば、最初の音Cではコントラバス1〜5によって奏されるが、それぞれ、7連16分音符X3、5連16分音符X3、16分音符X3、3連8分音符X3の長さを与えられている。


《中断された歌》ではもっと別のやり方も行われている。その二曲目で、16分音符、8分音符、3連8分音符、5連16分音符を単位として、1倍、2倍、3倍、5倍、8倍、13倍の長さが用いられる。
この1、2、3、5、8、13、……という数列はフィボナッチ Fibonacci の数列と呼ばれているもので、その一般項は

a_{t}=a_{t-1}+a_{t-2} (t=1,2,3……:項数)


であらわされる。この数列はさらに、

a_{t-1}:a_{t}a_{t-2}:a_{t-1}≒2:3


という関係をもっていて、(バルトークが時々用いた)黄金分割をもたらす。




松平頼暁20・5世紀の音楽 (1984年)』(青土社) p.38


『力と光の波のように』はソプラノ、ピアノ、管弦楽とテープの為の音楽で、チリの革命家ルシアノ・クルツの死に捧げられた詩をベースにしている。マグネティック・テープの音響が、信号のような独特のサウンドを通低させ、そこにライヴ──すなわちソプラノの絶叫、破壊的なピアノ、激烈なオーケストラが加わる。
テープと<ライヴ>は密接に絡み合い、空虚な空間を過去(テープ)と現在(ライヴ)で充満させ、そして<生きるための>未来へと爆発させる。

今日、社会的な潜勢力が存在するとすれば、それはそれ自体の無力さの果てまで行くのではなければならず、法権利を維持したり措定したりする意思の一切を忌避し、主権を構成している暴力と法権利の間、生ける者と言語活動の間も結びつきを至るところで粉砕するものでなければならない。




ジョルジュ・アガンベン「政治についての覚え書き」 (高桑和巳訳『人権の彼方に』、以文社)より

楽家もこうした抵抗闘争に参画している。……自己の研究や探求、実験、創造力を通して独立独歩の方法によって貢献する分だけ、そして理念的な契機を技術的・言語的な契機と弁証法的に結びつける分だけ、
Nono;Voices of Protest
楽家はまさに完全に自己実現を可能にしているのである。








"Musik und Resistènza" *2

like, Lusiano!, a wave
of strength
young as revolution
forever alive
and you will keep on
glowing light
for living.



Como una ola de fuerza y luz

『苦悩に満ちながらも晴朗な波…』もテープとライヴの「対話」である。ただし演奏者はピアニストただ一人。ポリーニに捧げれられたこの曲は、同時期に作曲者とピアニストを襲った不幸に影響されている。苦悩の記憶(テープ)と「いま、ここに」ある存在(ライヴ)。
ピアノの音響は極限にまで開拓される。それはエレクトロニックによって激しく振動(運動)し合い、増幅される。極度の緊張感とともに、劇的な対話が展開される。しかし、やがて、その振動は、清朗な波の地平へと、静かに回収されていく。

Nono: Orchestral Works & Chamber Music
ノーノの芸術上の発展は、イタリア共産党ヴェネチア支部の指導者でもある彼の政治的信条と切り離すことはできない。彼が孤立した美学的振舞いを拒否する背後には、個人の自己矛盾を終点とする社会制度の拒否がある。また、機械的な音列操作に対する不信の陰には、頑迷な非弁証法的発想への不信がある。
Nono: Intolleranza 1960




松平頼暁20・5世紀の音楽 (1984年)』 p.212

コントラプント・ディアレティコ・アラ・メント(思考における弁証法的対位法)』はまさに実験的なサウンド。近未来的とでも形容したい斬新な、しかしときに神経を逆撫でするような響き。人によっては気味が悪いと思うかもしれない。しかしそのある意味ビザールなサウンドを構成するのは、剥き出しの人間の声、声、声。それら多種多様な声が電気的に変換され、合成され、どぎつく響く。テクストはマルコムXに関するものやベトナム反戦パンフレットから取ったものだ。

Support the White Power,
take a trip to Vietnam
and win a medal!
Fight for freedom
...(in Vietnam)



Contrappunto dialettico alla mente


この「サウンド」に近い「音」というと、ウルトラセブンに登場した宇宙人の声──例えばクール星人、チブル星人、ゴース星人──そんな感じなのだ。60年代SF的感覚とでも言ったら良いだろうか。「音楽」というよりも「音響」そのものの面白さ(工夫)に非常に惹かれる。

Nono: Al gran sole carico d'amore
それゆえ「レジスタンス」という主題は、音楽において、たんにパルチザン闘争の状況のテクストを使用するといったことのみと結びつくわけではない。
探求や創造、そして実演のもつ真実を新しさによって、窒息するような後期資本主義社会を廃絶して社会主義的自由をめざすような人間の想像力や知性、意識は解放され開拓されるが、そうしたことすべてにかかわるあらゆる発話のなかに、レジスタンスは潜在的に含まれているのである。




Luigi Nono *3

ヴィーン・モデルンII
進むべき道はない だが進まねばならない……アンドレイ・タルコフスキー
No hay caminos, hay que caminar... Andrei Tarkovski


Luigi Nono: The Suspended Song (Contemporary Music Review)

Luigi Nono: The Suspended Song (Contemporary Music Review)

Lontananza Nostalgica Utopica Futara / Hay Caminar

Lontananza Nostalgica Utopica Futara / Hay Caminar

Composizione Per Orchestra 1 / Der Rote Mantel

Composizione Per Orchestra 1 / Der Rote Mantel

ノーノ:愛に満ちた偉大な太陽に向かって

ノーノ:愛に満ちた偉大な太陽に向かって


Al gran sole carico d'amore  In the Bright Sunshine Heavy with Love

Le titre de l'œuvre provient d'un vers du poème Les Mains de Jeanne-Marie d'Arthur Rimbaud, un chant à la gloire des femmes de la Commune :



Une tache de populace
Les brunit comme un sein d'hier ;
Le dos de ces Mains est la place
Qu'en baisa tout Révolté fier !

Elles ont pâli, merveilleuses,
Au grand soleil d'amour chargé,
Sur le bronze des mitrailleuses
À travers Paris insurgé !


[関連記事]

ノーノ自身、「《愛に満ちた太陽の光の中で》の後、私は、自分の仕事を、そして自分が今日の社会で音楽家としてのみならず知識人として存在するありかたを、全体として考え直す必要があった」と述べています。《愛に満ちた太陽の光の中で》が政治の革命と音楽の革命を一つにしたヴィジョンの集大成だったとすると、その後にある種の切断があって、それ以後はもっと深い内省的な空間が開かれることになる。

[Archivio Luigi Nono]


人権の彼方に―政治哲学ノート

人権の彼方に―政治哲学ノート

*1:接触 Kontakte(1959-60)≫、≪行列 Prozession(1967)≫、≪短波 Kurzwellen(1968)≫

*2:ルイジ・ノーノ「音楽とレジスタンス」(長木誠司 訳、音楽之友社『作曲の20世紀』より p.86

*3:音楽とレジスタンスより p.86