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リミテッド・アレアトリー ヴェネチアのゲーム



ポーランドの作曲家、ヴィトルト・ルトスワフスキ(Witold Lutosławski、1913 - 1994)の『ヴェネツィアの遊び』(Jeux vénitiens、1961年)を聴いた。

Sym 1/2/Con Orch/Musique Feneb

Sym 1/2/Con Orch/Musique Feneb

Essential

Essential


英語で「ヴェネチアン・ゲーム」(Venetian Games)と表記される、このルトスワフスキの名高い作品は、ヴェネチア・ビエンナーレ音楽祭(La Biennale di Venezia)で初演されたため、「そう」名付けられた、ということだ。その名に相応しい、ゲーム感覚溢れる、実に楽しい、実に壮絶な音楽が展開される。

もちろん注意すべきは、「そのゲーム(遊び)」の何たるか、である。まずウィキペディアの解説を参照しよう。

ヴェネツィアの遊び」で初めて採用し、以後「弦楽四重奏曲」、「交響曲第二番」、「チェロ協奏曲」で現れる「ad-lib動律」とは、各パートが「それぞれのアゴーギクを保ちつつ」、「ほぼそのように」演奏される為に、指揮者は入りの瞬間だけをキューで示し、後の音楽の進行はそれぞれの奏者ごとに与えられる異なったテンポやフレーズ、繰り返しに任される。このことにより、各パートの旋律の様相がクリアに浮かび上がる利点を持つために、不確定性全盛の時代の中で最も成功したと言われている。




ヴィトルト・ルトスワフスキ


ここで「アドリブ」と言っているのは、「サイコロを投げる」(aleatory、dice game)ように、「賭け」に出ること──偶然性に任せること──である。しかし作曲家ルトスワフスキは、もちろん単なる偶然(chance)なぞに、満足しない。そんな「自由」なんてものをそもそも信用しない。

というわけで、彼は、偶然性をも手中におさめ、それを制限し、管理しようとする。これが「管理された偶然性」(limited aleatory technique、controlled chance)という手法である。偶然というアイデア/理念/理想で表現・措定される──expressed──「自由(フリーダム)」なるものは、つねに・すでに様々な音楽的な要素によってコントロールされている/されなければならない、のである。細心の注意を払って、巧妙に……躊躇しつつも(Hesitant)、直接的に(Direct)*1

In works from Jeux vénitiens, the parts of the ensemble are not to be synchronised exactly. At cues from the conductor each instrumentalist may be instructed to move straight on to the next section, to finish their current section before moving on, or to stop. In this way the random element implied by the term aleatory is carefully directed by the composer, who controls the architecture and harmonic progression of the piece precisely.




Witold Lutosławski


政治学矢野暢氏は、その音楽論『20世紀音楽の構図―同時代性の論理』で、ルトスワフスキのテクニックについて、次のように解説している。

ルトスワフスキの大きな影響を与えたのは、ジョン・ケージの<偶然性>という考え方であった。しかし、ルトスワフスキは、<偶然性>を恣意性の方向にもっていく代わりに、なんらかのかたちでコントロールされるべき事柄と考えたのである。ここで、かれの<コントロールされた偶然性 kontrollierte Aleatorik)>というユニークな考え方が生まれることになる。


「主体的自由」と「厳密な抑制」という、いわば政治的な本質であるかのようなアポリアを作曲技法にもち込み、その両者の緊張を相に置きつつ、また反面で対位法的にからませながら、独特の曲想をつくってみせる。「自由」が勝った楽章では、指揮者や奏者が文字通り自在に音を選ぶことになる。いわば、アンサンブル音楽における個々の奏者の自由度をどこまで許容できるかの実験である。


ヴェネチアの遊び》での「遊び」というモチーフは、まさに<コントロールされた偶然性>を意味するのである。




矢野暢音楽選書(63)20世紀音楽の構図』(音楽之友社) p.76-77


ルールのないゲームなどは、ありはしない。というよりゲームが成り立っている以上、そこにおいて初めてルールの存在を確認できるものなのだ。したがって、だからこそ、「プレイヤー」は、「enhanced degree of freedom」を意識できる。
とにかく実践(プレイ、遊戯)すること。規則(ルール)に従うこと、選択せずに、盲目的に──規則なるものを知るために。

注目すべきことは、<コントロールされた偶然性>という手法によって、音の混乱が生ずるよりも、むしろ積極的な意味性が曲に宿される結果になることである。代表作のひとつとなる弦楽四重奏曲について、マーク・スウェッドは、「英雄的な死と変容を、個人的な危機と決断を、はたまた性的絶頂と尽き果てた情熱すらをも、聞くことができよう」と書いている。




音楽選書(63)20世紀音楽の構図』 p.77

Each musician peforms his part as freely as if he were the only player: the rhythmic values serve only as a guide.




by Witold Lutoslawski

Symphony 2 / Piano Concerto

Symphony 2 / Piano Concerto

Crumb/Webern/etc;Black Ange

Crumb/Webern/etc;Black Ange

String Quartet

String Quartet

*1:エサ=ペッカ・サロネン指揮ロサンジェルスフィルハーモニー管弦楽団による交響曲第2番のCDの解説は、「SCULPTURES IN SOUND - FLUID AND FIXED」というタイトルである。つまりルトスワフスキの音楽における「流体・流れ」と「不変・固定」について、である