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ベルリン国際映画祭、ボスニア映画『グルバビツァ』が最高賞




第56回ベルリン国際映画祭の授賞式が2月18日行われ、ヤスミラ・ジュバニッチ監督(Jasmila Zbanic)によるボスニア・ヘルツェゴビナ紛争下のセルビア人兵士によるボスニア女性への組織的な強姦を背景に母と娘の葛藤を描いたボスニア映画『グルバビツァ』(Grbavica)が金熊賞に選ばれた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060219-00000771-reu-ent

低予算で制作した自作品について、女流監督のヤスミラ・ジュバニッチ氏は「ボスニアでの戦争が終わって13年経つが、戦争犯罪人のラドバン・カラジッチらは依然欧州で自由に生活している。彼らは2万人の女性の強姦を組織的に行い、10万人を殺害したが捕まっていない。ここはヨーロッパで、誰も逃亡戦犯には興味がない。この映画でボスニアに対する見方を変えて欲しい」と挨拶した。

ボスニア映画「グルバビツァ」受賞でレイプ被害者救済に光 [ロイター]

女性戦争犠牲者救援団体代表で自らもレイプされた体験を持つBakira Hasecic氏は19日、ロイターに対し「ジュバニッチ氏は政治家のような役割を果たし、多くの女性たちがあえて言おうとしなかったことを明らかにした」と述べた。


 そのうえで「これは真実であり、戦争犯罪人たちが捕まらない限り、戦争は終わらない」と語った。

Hasecic氏は、それぞれのレイプ被害者が映画化にも匹敵する過去を持っており、彼女たちを戦争による一般市民の被害者と認めず、人権保護の法律を成立させようとしない当局の姿勢がこの問題を悪化させていると指摘した。


Berlinale Golden Bear Goes to Bosnian Drama [Deutsche Welle]

A moving portrayal of Bosnia's post-war trauma and the lingering impact of the systematic rape of Bosnian women by Serb soldiers won the top prize at the Berlin Film Festival on Saturday. "Grbavica" by Sarajevo director Jasmila Zbanic took the Golden Bear for best film at the conclusion of a glittery gala ceremony in central Berlin.


The film about how a single mother and her 12-year-old daughter cope with the aftermath of the Bosnian war is a joint Austrian-Bosnian-German-Croatian production with a strong political overtone.

Top honours for Bosnian drama [Sydney Morning Herald]

A film about the agony of women raped as part of ethnic cleansing during the horrors of the war in Bosnia-Herzegovina has won the Berlin Film Festival's prestigious Golden Bear.


Grbavica was 31-year-old Jasmila Zbanic's first feature and was also the first film from Bosnia-Herzegovina to be selected for one of the world's top film festivals.


Now in its 56th year, the Berlinale has built a reputation for taking on politically charged issues and promoting films that explore the harder edge of life.

[Berlin Film Festival]

このボスニア紛争で行われた「組織的レイプ」「民族浄化」(ethnic cleansing)を取材した映画で思い出すのは、やはりレイプの残虐さを告発したキャサリン・マッキノンの問題提起である。マッキノンは、『戦時の犯罪、平時の犯罪』において、女性が至るところで合理性から締め出されていることや、人権の理論と実践から全面的に排除されていることに、注意を喚起する。

マッキノンは、以下のような残虐行為に言及しつつ、問題の核心を明らかにしています。その残虐行為は、「民族浄化」つまり根絶やしという公式方針の一環としてボスニアで現在行われており、女性や子供への集団による組織的大量レイプの目的で設置された収容所では、犠牲者が何ヶ月にもわたって、それぞれ日に三十人以上の男たちにレイプされているともいわれます。
マッキノンは、男たちによってつくりだされ、解釈された国際法ではこれまで、このような性的残虐行為が戦争犯罪の一つであることを認識できなかったと強調します。国際人権法はボスニアでの残虐行為を扱えるように、前例のない解釈をされるでしょうか。それともそのような残虐行為は主として男たちによって、「これが戦争というものだ」とか、「これが人生なのだ」として無視し去られるのでしょうか。


(中略)


実践のレベルについていえば、国際人権法は機能不全の状態にあります。積極的に運用されていないからです。ある国が、人権に関する数々の国際条約を侵害したことが判明している他国に対して直接行動をとることはまれにしかなく、数多くの人権侵害、ことに女性の人権に対するそれは償われないままです。
理論的なレベルについていえば、人権の言説から女性が排除されているのは、一つには民間レベルの人権侵害が見落とされているからです。したがって個々の男性が女性を抑圧しようとして社会的支配力を行使する際に、この抑圧は無視されます。この抑圧は人権の規範に合致しないからです。そうした人権の規範は、マッキノンに従えば、女性を排除するか周辺に追いやる形式的平等観念のもとにつくりあげられてきたものだからです。つまり女性が人間としての扱いを主張しても、それは拒絶されるか、さもなければ取るに足りない、前例のないものと見なされてしまうのです。




ティーヴン・シュート&スーザン・ハリー編『人権について オックスフォード・アムネスティ・レクチャーズ』序文より(みすず書房)p.11-12

そしてマッキノンの重要な主張は、「法」や「学問」における<客観性>というものは──彼女が問題化する「ポルノグラフィー」と同様──男性による支配体制を維持する視点で成り立っているということだ。

現行の多くの国際文書が性の平等を保障しています。しかし女性の人権侵害の経験がほとんど反映されていないので、その理由を説明するためには人権の基礎に戻って探る必要があります。人権の第一の基礎は自然法、つまりそれを信じる者のみを動かすことができる世俗宗教でした。自然法の内容はともすれば社会の現状をそのまま表現するにとどまり、その根拠を自然に帰することになりがちです。実定法にしても、ほとんどの場合その形成に女性が関わっていないので、事情は似たようなものです。


これに代わる人権の基礎としての道徳性は人間の感情を動かすことができるかもしれませんが、「道徳的勝利」という表現が現実的敗北をさすことで例証されるように、道徳には規制力がありません。これらすべての基礎は、最終的には社会的権力に帰することになります。
もし社会的権力を持っていれば、あなたは彼らの「人間」の基準に合格します。しかしまさに権力こそ、女性に持たせることを社会が拒否してきたものにほかなりません。そしてそのことが、女性の人権が侵害されてしまう理由であり、人権を認めさせることが女性にとって必要な理由なのです。




キャサリン・マッキノン『戦時の犯罪、平等の犯罪』p.120-121


[キャサリン・マッキノン講演]

マッキノンさんは弁護士として、ボスニアで集団レイプされた5人の女性を原告としセルビア人指導者カラジッチを被告とする裁判や、職場でのセクシャル・ハラスメントをめぐるさまざまな裁判、ポルノに強制的に出演させられた女性の代理人として、ポルノグラフィーを禁止するインディアナポリス条例が憲法に違反しないと主張した裁判など、性暴力と「表現の自由」をめぐる裁判にかかわってきた。

ポルノグラフィーでは、最後に女性が殺されることが珍しくない。そこにはさまざまな種類の女性が見いだされる。少女、妊娠した女性、民族的人種的なすべてのタイプ、性的少数者レズビアンや性転換を受けた人、高年齢者や身体的・精神的障害者も含まれている。


 アメリカで売られているポルノで、「日本の女性」といわれるタイプがあることを知ってほしい。アジアの女性、特に日本の女性が出てくるポルノは、ほとんどすべて拷問にかけられている。それはアメリカ人の人種差別的日本人像を露わにしている。彼女たちは非常に受け身で、体をロープでぐるぐる巻きにされているので、生きているのか死んでいるのかわからない。

僕はマッキノンの「ポルノ規制」に関しては、全面的には首肯しない。しかし「それはアメリカ人の人種差別的日本人像を露わにしている」という彼女の指摘は重要だと思う。それは「やおい」という「ポルノグラフィー」が、まさに「異性愛者のホモフォビア的同性愛者像を露わにしている」と言えるからだ。



[キャサリン・マッキノンについて言及したエントリー]


人権について―オックスフォード・アムネスティ・レクチャーズ

人権について―オックスフォード・アムネスティ・レクチャーズ