HODGE'S PARROT

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不可視のマイノリティ

ジャパンタイムズに「Invisible minority Japan's lesbian community in dual struggle for rights, acceptance」という記事が掲載された。
Invisible minority [Japan Times]


女性同性愛者に対する──未だに流通している──ステレオタイプ、俗説、偏見、捏造……。レズビアンたちは、外部の──異性愛社会の──偏見と差別、悪意に晒されるだけではなく、そういったホモフォビアを内面化(Internalized homophobia)してしまうという「二重の抑圧」を<経験>せざるを得ない。


とくに重要であると思われること。それは「現実のレズビアン」が、社会から、存在しないものとして扱われていること──抹消されていることだ。読みながら、僕は怒りが込み上げてきた。

"There are still many who believe in that there are virtually no lesbians in the real Japanese society," says Maki Kimura, a staff member of the Kansai Queer Film Festival and partner of Otsuji.


"A market where feminine lesbians are objectified and consumed as objects of sexual desire by heterosexual men, say through pornography, has developed.

現実の、「生活者としての」レズビアンは「いない」、異性愛男性のポルノグラフィーという性欲望の「単なるモノ」として消費されているだけである、ということ。
この部分である。

これこそ、まさに、「やおい」が同性愛者に対して行っている<消費>である。搾取である。モノ化=対象化である。現実の、「生活者としての」ゲイを、不可視にしている<元凶>である。ステレオタイプを捏造する、ゆえに、差別を再生産する最悪の装置である。

彼女たち(キャサリン・マッキノン、アンドレア・ドウォーキン)にとって、ポルノはただの無害な表象ではない。表象も、また、行為である。表象するという行為(これ自体が表象される対象にとっては、対象化の、対象にされるという暴力であると理解される)だけではなく、ポルノの消費者を表象の主体に仕立てるという行為も同時に行っている。




田崎英明ジェンダーセクシュアリティ』(岩波書店)p.85

マッキノンは、ポルノを「ただの言葉」(Only Words)だと看做さない。それは「ただの表象」ではない。現実に、人を傷つける「言語行為」であると主張する。

表象する主体は、表象を構築する権力をもち、表象されるだけの客体は、その表象に合わせて自分自身を作る以外に存在の余地はなくなってしまう。表象する主体は自分の欲望に適ったかたちで表象を構築するばかりではない。そもそも表象を作ること自体に、他者を自分の欲望の対象とすること自体が支配なのであって、その支配そのものに快楽を覚えるようになるのである。




ジェンダーセクシュアリティ』p.81

ジェンダー/セクシュアリティ (思考のフロンティア)

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