1917年ソヴィエト政権が誕生、更に1918年11月、ポーランド共和国が独立を宣言、それから二ヶ月ののちパデレフスキーは首相兼外相に就任することを要請され受諾する。複雑な政治上の確執から彼が首相の座にいたのは一年にも満たなかったが、その間彼はヴェルサイユ平和会議に全権として出席、そのピアニストとして得ていた多くの交友関係と語学力で活躍する。
このヴェルサイユ会議でのエピソードとして、フランスのクレマンソーと会った折の会話がある。
「あなたが本当にあのピアニストとして著名だったパデレフスキーさんですか」
「ええ」
「そして、今はポーランドの首相?」
「ええ」
「おお、お気の毒に、なんたる転落でしょう」
中村紘子『ピアニストという蛮族がいる』(文芸春秋社)p.196
ピアノを弾く政治家──ヘルムート・シュミット西ドイツ元首相やイギリスのエドワード・ヒース元首相、最近ではアメリカのコンドリーザ・ライス国務長官などが有名だ。シュミット氏はクリストフ・エッシェンバッハとモーツァルトの『二台のピアノのための協奏曲』を演奏したこともあるし、ライス国務長官もチェリストのヨーヨー・マと共演するなど、その腕前は確かである。
しかし、「ピアニストで政治家になった」と言えば、独立ポーランドの初代首相イグナッツ・ヤン・パデレフスキー(Ignaz Jan Paderewski)に止めを刺す。ピアニストが政治家になる──さすがはショパンやシマノフスキーを生んだ国である。
その政治家=音楽家パデレフスキーについては、中村紘子の『ピアニストという蛮族がいる』が、なんといっても面白く読める。類稀なる「鍵盤の愛国者」のエピソードを、闊達でユーモアたっぷりな文章で紹介している。
パデレフスキーという人は1860年に生まれ1941年に80歳の長寿を全うしたが、その生き方をふり返ってみると、音楽と政治、ピアニストであることとポーランド独立運動の闘士であること、という、全く相反する二極の間を行き来してたかのように見える。
しかしパデレフスキーにとっては、ピアニストであることも政治家になることも、同じ「パトリオット」としてのエネルギーから生まれたことだった。内的にはピアニスト・パデレフスキーというパトリオットの有する桁はずれな情熱、外的には民族興亡の危機を救うために内外のコンセンサスをまとめるカリスマを必要としたポーランド及び当時の国際情勢。この両者が相俟って、この二極相反するものの統合を可能としたのだろう。
『ピアニストという蛮族がいる』p.180-181
パデレスフキーのピアニストとしての腕前は、最近ドキュメント社から出た「GROSSE PIANISTEN」というボックスセットを聴いただけであるが、ショパンの『革命』や『木枯らし』『英雄ポロネーズ』などは、テンポも速く、ところどころにミスタッチがあるものの「きっちりと」弾いていた。昔のピアニストにありがちな、(現代の演奏と比べ)スローテンポで「崩す」タイプの演奏スタイルではない。現代ピアニストと技巧的には遜色はない感じだ。
作曲家としては、ハイペリオンから出ている「ロマンティック・ピアノコンチェルト」シリーズの一枚、ピアノ協奏曲第一番イ短調作品17を聴いた(カップリングはモシュコフスキー)。ピアノは Piers Lane、Jerzy Maksymiuk 指揮BBC Scottish Symphony Orchestra の演奏。
メンデルスゾーン風の華麗な音楽。メロディも美しい。が、ちょっと他愛のなさ──あるいは「古さ」──も感じられるかな。
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追撃ミサイルの名称として湾岸戦争で一躍有名になったこの「パトリオット」という言葉は、80年まえの第一次世界大戦の時代には、このポーランドの世界的ピアニストにして民族のカリスマ、パデレフスキーその人を指していうほとんど固有名詞であったのだ。
思えばパデレフスキーもミサイルも、侵略者に対して抵抗するという点で奇しくも共通している。そしてパデレフスキーの愛してやまなかった故国ポーランドは、その長い歴史のなかでなんと多くの「スカッド・ミサイル」、征服者たちによって踏みにじられ、民族の誇りを傷つけられてきたことか。なんと人類とは、同じ愚を繰り返す動物であろうか。
『ピアニストという蛮族がいる』p.181
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