誤解があるといけないので、ポルノについての意見を記しておく。キャサリン・マッキノンを引いたりしたが、僕は基本的に「ポルノ解禁派」である。すなわち、性器へのモザイクなどは、まったくナンセンス、やめるべきだ。
しかしポルノにおいて、そこに差別が顕現されること、ポルノによって「喚起される何ものか」がある(と考えられる)以上、レーティングやゾーニングはやはり必要であると思う。
マッキノンの「やり方」にも大きな問題はあるだろう。ただ、マッキノンの以下の主張は考慮に値すると思う。
ポルノグラフィは観念であるが、観念が重要なのだ。ポルノグラフィの消費者の心の中で起こることが非常に重要な意味をもつのだ。死に直面した宇宙飛行士が感じた最後の恐怖は、最後の数秒間にいままさに起ころうとしていることを自分たちが知っているかもしれないということであった。
しかし、ポルノグラフィによって傷つけられる女性の心の中では、何が起こるだろうか。彼女たちは遅かれ早かれ、自分たちの身に何が起こるかを知りながら生きており、そして現に起こっていることが、それは些細なことで、まったく問題ではないとされている。
彼らはデリダの言うことは「いつもすでに」書くことであるという意味がわかると言いながら、セクシュアリティがいつもすでにポルノグラフィになり得るということを理解できないと言う人びとである。さらに、解釈を重視する人々がいる。彼らにとって社会的現実は、固定化されたリアリティをもっていない。社会はすべて観念的である。ポルノグラフィもファンタジーでしかない。しかし、あらゆるものが観念にすぎない世界で、ポルノグラフィーが観念でしかないとするなら、それは他のものと同じ程度にリアルなものだと言う事にならないだろうか?
そしてマッキノンによるリベラリズム批判──○○する自由というのは、「差別する自由」も含まれるのではないか、という彼女の懐疑には耳を傾けたい。
- 作者: キャサリン・A.マッキノン,Catharine A. MacKinnon,奥田暁子,鈴木みどり,加藤春恵子,山崎美佳子
- 出版社/メーカー: 明石書店
- 発売日: 1993/08
- メディア: 単行本
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