タイトルは、id:yskszk氏のエントリー「川原泉と同性愛」から拝借した。なぜならば、yskszk氏の指摘する「同じ構造」が以下のニュースでも見られるからだ。
皮膚病患者を「ミイラ」と中傷 SNSに書き込む [産経新聞]
岩手県内にある大学の元水泳部員の男子学生(20)が、アルバイト先の書店で顔や腕を包帯で覆った皮膚病患者の写真を隠し撮りし、インターネットに「ミイラが来店」などと中傷する書き込みを繰り返していたことが17日、分かった。同じ悩みを抱える患者らからの抗議メールを受け、水泳部のホームページが閉鎖に追い込まれたほか、大学側にも抗議が殺到。学生から事情を聴き、厳重注意を行ったという。
学生のバイト先の近くには、重度の皮膚病治療で名の知られる総合病院があり、撮影されたのは、そこに入院する患者の外出時の姿とみられる。大学側などによると、書き込みは7月9日に2度行われた。バイト先の書店を訪れた患者の写真を携帯電話のカメラで撮影した上で公開し、「ミイラが来店」「刺激臭を観測…くせぇ」などと中傷した。
僕は、yskszk氏が川原を擁護するために引き合いに出したギュンター・グラスの問題は、「川原泉問題」とはまったく別であると考える。なぜなら、グラス氏は、「マイノリティである」ユダヤ人をもはや攻撃していない。ナチスの犯罪を「犯罪である」と認めている。ドイツの過去──すなわち自分の過去を──直視しようとしている。
グラス氏の「苦悩」と川原泉の「現在進行形の差別」を「同じ構造」であると、僕は決して思わない。「同じ構造」なのは、上記の産経新聞の記事にある皮膚病患者への悪辣な差別意識である。「スキ」があるとしたら、無名の大学生と、それなりに名の知れた漫画家である人物が、同じ「偏見の垂れ流し」──いったい「ミイラ」が愛らしい呼び名なのか、誰が好き好んで「蔑称」で呼ばれたいんだ?──を行ったという事態である。しかしそれは本当に「スキ」なのだろうか? 「スキ」があったで許される問題なのか。
それにしても、このように川原泉を擁護するyskszk氏その人自身は、単なる「市井の人」なんだろうか。川原泉──および「BL」なるものを擁護するこの人物は、何かしらの「利害」と関わっていないのだろうか。