以前「少女マンガと優性思想」や「ブリテン 『戦争レクイエム』」で示した、川原泉の差別の問題点。
この問題に関して、”それは「古い」作品だから”という弁解が通用しない状況が浮上した。最新作である『レナード現象には理由がある』においても、差別・人権侵害が繰り返されたのだ。
hana53 さんが詳細に論じている。
- 川原泉「真面目な人には裏がある」 [ハナログ]
…と、これは編集がストップをかけるべきだったろうというあんまりなプロットも酷ければ、「BL小説をまとめて読んだから同性愛男性に対して寛容になった」(「レイプものAVを大量に見たからレイプ被害者の苦痛が理解できるようになった」というぐらいにトンチキな話のように思われます)と称しつつ、兄のパートナーの背後に「幻獣バジリスクが見える」と言ってみたり、「ホモ判定実験」なるものを面白半分に実施してみたりする偏見まみれのヒロインに対して、「同性愛に対する寛容さに感銘を受けた」と、当事者の口から言わせてしまう無神経さに至っては何をかいわんや。全編の結論はほとんど「同性愛は親不孝、異性愛は親孝行」だし、これが「Intolerance...」よりマシになっているとは到底言えないと思います。
とくに「同性愛は親不孝(異性愛は親孝行)」だと印象づけるような、そのように「読者を誘導する」テクニックは、以前よりも「巧妙になった」と言ってもよい。
これは単に時局が変わってあからさまな差別発言が許容されなくなったというだけで、差別的な姿勢そのものはあんまり変わっていないみたいです。残念ながら。
川原泉「真面目な人には裏がある」 [ハナログ]
川原は、巧妙に差別を忍ばせている。巧妙に、優性思想を忍び込ませている。読者に──それは思春期を迎えたティーンエージャーだろうか、それとも若い母親だろうか──優性思想を植えつけている。
関連して、Mr_Rancelot さんも同様の指摘をしている。そして、その指摘は決定的だ。
- 読まずに言う、川原泉 [孤流天路]
でもそれって「親不孝」という文脈で処理するようなことでもないしね。
ダウン症の子供を親不孝と評するのと同じくらいナンセンスだと思う。
さらに hana53 さんは、『Intolerance...あるいは暮林助教授の逆説』について、 川原が「バイキン」と書いたことを、エイズ/HIVと絡めてその問題を考察する。『花とゆめ』に掲載された初版には、はっきりと「エイズ」という言葉が書き記してあった。現在エイズ患者は「身体障害者」と認定されていることは言うまでもない。
本作が『花とゆめ』に掲載された1985年の夏は、「日本人エイズ患者第一号は米国在住の同性愛者の男性」と発表され(血液製剤による感染に関してはこの時点では未公表)、日本国内で同性愛嫌悪・恐怖がエスカレートしつつあった時期にあたります。しかし、そういった時代的な制約は、本作の免罪符となるものではありません。むしろ、現実に進行しつつある差別と偏見、暴力に安直に同調して、「同性愛者=倒錯者」と決めつけ、「バイキン」や「エイズ」と同一視したうえで、同性愛者に対する暴力を容認するようなテキストをつくり出してしまったことが問題なのです。ここで提示されるメッセージが現実に及ぼすかもしれない破壊的な効果について、この作品を世に送り出した人々は、まったく無自覚だったのだろうか。
これは本当に『花とゆめ』という少女向けの雑誌に書かれたものなのだろうか。あまりにも酷すぎないだろうか。『花とゆめ』という少女漫画雑誌は、子供たちとその親に、どんな「夢」を与えているというのか。誰が幸福に値し、誰が人間としての尊厳に値し、誰が生きるに値するのか、そして誰がそうでないのか──そのように決め付けていないだろうか。
白泉社の編集というのは、いったい、どうなっているのだろうか。その影響力というものを分かっているのだろうか、それとも、分かっていてそのようにしているのか。これは川原泉という偏見と差別意識を持った一マンガ家だけの問題ではない。
『花とゆめ』という「将来、母親になる」──すべての人がそうではないし、それ自体がひとつの「規範」であるが──少女たちに、何かしらのメッセージを送っているとしたら……少女マンガ雑誌というメディアは、ひとつの権力装置なのではないだろうか。
そこには政治が介在している。
白泉社と他社の「少女マンガ」の内容を、比較する必要があるかもしれない。白泉社のマンガと他社のマンガの差別基準、人権に対する配慮に関して。
確かにあなたたちもひとかどの民。
だが、死ねばあなたたちの知恵も死ぬ。
あなたたちと同様、わたしにも心があり
あなたたちに劣ってはいない。
ヨブ記12章 新共同訳『聖書』より
わたしは、あらかじめ排除された生──「生きている」とは言われないもの、それを監禁することが生の停止を示唆するものというもの、持続中の死刑宣告──という暴力について多少は理解するようにもなった。
ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』序文1999(高橋愛 訳、青土社『現代思想』200年12月号)p.75
人の不幸を笑い、よろめく足を嘲ってよいと
安穏に暮らす者は思い込んでいるのだ。
ヨブ記12章
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