女性と同棲し親密な交際をしていることを打ち明けたため、聖職を剥奪されたメソジスト教会牧師 Irene Elizabeth "Beth" Stroud さんの聖職復帰が決まった。
Conviction of lesbian Methodist minister overturned [Advocate]
Methodists Restore Lesbian Minister [Washington Post]
Stroud さんは、自分が別の女性と「レズビアンの関係(lesbian relationship)」にあることを認めたため、昨年12月、教会の法廷(a lower church court)により聖職者としての地位を剥奪された。教会側は、Stroud さんがメソジスト教会の規約である「self-avowed practicing homosexuals」に違反したと主張していた。
今回、5人のメソジスト教会牧師と4人の一般人からなる「審議会(panel)」は、前回の教会の決定には手続き上の瑕疵(Procedural Errors)があったことを理由に、それを破棄、Stroud さんの聖職復帰となった。
Stroud さんが所属しているユナイテッド・メソジスト教会(United Methodist Church)は、全米第二のプロテスタント系宗派。信者数は約830万人にのぼる。
ところでワシントンポスト紙は興味深い指摘をしている。それは Stroud さんが「女性と暮らし、レズビアンとして、その女性と親密な交際をしていること(living in a lesbian relationship) 」と「同性間の性的交渉──すなわちセックスの<実行>──を禁じる教会規約(self-avowed practicing homosexuals)」との<関係>についてである。
それは、
"practicing homosexual" or "status."
の差異である。つまり、本当に問題となっているのは、同性愛行為(セックス)の「実践」であるのか、それとも同性愛者で「あること/状態」なのか。
ワシントンポスト紙は、ここで軍隊における同性愛差別法規「"don't ask, don't tell" policy」を引き合いに出す。
Like many mainline denominations, the United Methodist Church has been wrestling for years over the ordination of gay clergy members. The Stroud case is just the latest test of its "don't ask, don't tell" policy, which has proved difficult to enforce.
もちろん、言うまでもなく、問題なのは、異性間における「規則」は、何も書かれていないのに、同性間における「諸規則」が<明記>されていること──必然的に、実際にセックスをするかしないかにかかわらず、同性愛で「あるというステイタス」が、つねに・すでに「問題化」される<事態>だ。
(異性愛者は、異性愛セックスをするかしないかということは「問題」にならない。したがって、異性愛者で「あるというステイタス」それ自体も「問題化」されない)
ワシントンポストは、教会が「行為(practice)」と「状態/身分(status)」を明確に区別しなかったことを指摘にする。それは「ステイタス」という<言葉>の使用が、特に教会の差別禁止条項──人種や肌の色、国籍、経済状態など──と関連付けられるからである。そして今回の件で、Stroudさんの教会の弁護人は「ステイタス」に「性的指向(sexual orientation)」が含まれるかどうかを議論の俎上に挙げようとした。
Stroud さんは、今回の聖職復帰の決定に以下のように応えた。
この決定に安堵しています。そして教会が、彼/彼女の性的指向にかかわらず、より多くの人々を受け入れることを希望します。