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キタ━━━━(゜∀゜)━━━━ッ!! タケミツ本

小沼純一武満徹 その音楽地図』(PHP新書ISBN:4569642136)。
というわけで、現在読書中。いやー、新書で手軽に現代音楽、しかも武満徹についての本が読めるなんて(しかもPHPからなんて)。

義務教育で教わる音楽の三要素、リズム、メロディ、ハーモニーは、けっしてほんとうの意味での要素ではないことは、二十世紀の音楽や世界中の音楽──民族音楽や世界音楽と呼ばれるようなものを──をいろいろ聴いてみればわかる。音楽には「メロディ」と呼びえないような要素も多々あって、《系図》もそうだ。逆に、音の変化、ながれのなかで、さりげなくメロディが立ちあがってくるとき、聴き手は誰か見知ったひとに再会したような感触を持つかもしれない。その意味では、ドレミファソラシドの調性システムにどっぷりとつかっている十八、十九世紀のクラシック音楽や、どこにでもひびいているポピュラー音楽をごくあたりまえに聞いてしまうより、メロディとの出会い=再会が新鮮である。


p.26

この本では、武満徹の代表作とされる『ノヴェンバー・ステップス』をいきなり/最初に聴くと「難解な作曲家」で終わってしまう……それきり武満音楽と縁が切れてしまうのではないか、という危惧から、まずは親しみやすい石川セリの歌う『武満徹ポップ・ソングス』やコンサート楽曲とはちょっと趣きが異なる「映画音楽/TV音楽」など、武満音楽の持つ様々な魅力を紹介していく。
そして「難解な」『ノヴェンバー・ステップス』についても、映画のアナロジーとともに──武満が無類の映画マニアであったことは言うまでもないだろう──「聴くことに徹する」という「聴きかた」を示唆する。

映画を観るとき、物語、ストーリーを追うのではなく、細部に眼を凝らす。音楽に対しても、そのながれ、ストーリー性ではなく、もっと異なった部分部分、音の質感や瞬間に現れる複数の音の関係性を直覚すること。ストーリーというよりは、瞬間瞬間でのドラマを捉えること。何が起こっているかを聴き逃さぬよう、耳を凝らすこと。もちろん、音楽は時間のなかで生起するから、その全体、時間のなかで生まれては消えてゆく運動をたどる必要はある。映画だって同様だ。だが、その時間の枠のなかで生じることどもにもしっかり神経を注ぐと、異なったものが見えてくる、聞こえてくる。


p.68

僕が武満の音楽で(現在)とくに好きなのは『アステリズム』。「アステリズム」は「星群/星座」の意味。曲は、ピアノがメシアンの音楽ように煌くのだが、後半、とても長く爆発的な──すべてを飲み込んでしまうかのような凶暴さを持った──クレッシュエンドが待ち構えている。このクレッシェンドには圧倒される。
小沼純一の本によると、村上龍も『アステリズム』のこの「長く凶暴なクレッシェンド」に何事かを感じ、それを「恐かったのだ」と書き記している。「自らの空洞にある手に負えない過剰なもの、制御できない凶暴なパワーを、意識の下にねじ伏せた結果を見せられたわけだ」と。
CDは高橋悠治のピアノ、小澤征爾指揮トロント交響楽団の演奏(ASIN:B00005EGXN)。
それと、小品ながら映画『他人の顔』の「ワルツ」とピアノ曲『雨の樹 素描Ⅱ オリヴィエ・メシアンの追憶に』は絶品だ。

武満徹:黒い雨/利休‾《自選》映画音楽集

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武満徹:ピアノ作品集

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