HODGE'S PARROT

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ワイセンベルクのラフマニノフ3番とボードリヤール

アレクシス・ワイセンベルクのピアノ、ジョルジュ・プレートル指揮シカゴ交響楽団によるラフマニノフのピアノ協奏曲第3番&前奏曲集を買った。
ワイセンベルクのピアノは硬質で素っ気ないくらいイン・テンポ。アシュケナージの柔和でリリシズム溢れる演奏とは大分違うものだ。ピアノが鋼鉄の楽器であることを知らしめてくれる。ただし、このワイセンベルクの演奏を聴いても、僕にとってはアシュケナージの演奏がプレミアム/プレシャスであることは揺るがない。

ところでこのCDは「タワーレコードRCAプレシャス・セレクション」というタワーレコードのオリジナル企画もの。よって(多分)タワーレコードでしか販売していないのだろう。新マスタリングで価格も廉価。そして、なんといってもこのシリーズの「売り」は、

コア・ファンの皆様にご満足いただけるように、マニアックなアイテムを中心にラインナップしました。

ということだ。この「宣伝文句」にニヤリとさせられた。そして思った。

人間が消費者としてふるまうとき、かれは有用性や趣味や美意識で商品を選択するのではない。商品の差異体系に組みこまれるかぎりにおいて、美意識までふくめた人格の実質がすでに決定されている。おなじ箇所(注『消費社会の神話と構造』)でボードリヤールこんなふうに説明しているよ。
「消費者は自分で自由に望みかつ選んだつもりで他人と異なる行動をするが、この行動が差異化の強制やある種のコードへの服従だとは思ってもいない。他人との違いを強調することは、同時に差異に全秩序を打ち立てることになるが、この秩序こそはそもそもの初めから社会全体のなせるわざであって、いやおうなく個人を超えてしまうのである。各個人は差異の秩序のなかでポイントを稼ぎ、秩序そのものを再生産し、したがってこの秩序のなかでは常に相対的にしか記録されない定めになっている。各個人は差異による社会的得点として体験するわけで、秩序内の位置が取りかえ可能であっても、差異の秩序は何の変化も蒙らないという構造上の制約を体験するわけではない」


笠井潔ユートピアの冒険』(毎日新聞社