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アファナシエフの『クライスレリアーナ』『森の情景』



ヴァレリー・アファナシエフ(Valery Afanassiev、1947年生まれ)が「エリザベート王妃国際音楽コンクール」の覇者であるということは、あの過酷で「不自由」を強いられるコンクール規定──リサイタル曲は審査員に指定される、ベルギーの作曲家の曲を強制される、電話など外部との接触が一切禁止され、参加者は一箇所に集められ、そこで缶詰状態になる(まるで「昔の」体育会の合宿だ)──にきちんと従い、勝ち抜いてきたということだろう。
そんなことを思いながら、アファナシエフの弾くロベルト・シューマンの『クライスレリアーナ』Op.16 と『森の情景』Op.82 を聴いた。

シューマン:クライスレリアーナ

シューマン:クライスレリアーナ


まあジャケットが異様なのは、いつものアファナシエフであるが、演奏が「異様である」かといえば、そうではない。テンポの設定が極端なわけではないし、「変わった」解釈でリスナーを驚かすわけではない。むしろ、このピアニストの持つ卓越したテクニックに胸のすく思いがする。

もちろん「鬼才」アフェナシエフは『クライスレリアーナ』を精神科医とピアニスト、ピアニストの生き写しである人形が登場する「戯曲」に仕立てている。CDの解説──青澤隆明「アファナシエフ、幽霊たちの棲む森で」──によれば、

戯曲は、ホフマンの原作を発想の源泉としてシューマンの音楽で描いた楽長ヨハネス・クライスラーと、ヴァレリー・アファナシエフなる人物に「狂気の世界の黄昏」をみて、芸術創造の失われた黄金期を追慕しながら、現代への絶望を語り、「消滅へのよろこびを引き出すこと」をうたう。

というテーマがあるのだという。

しかし僕がアファナシエフの『クライスレリアーナ』を聴いて、ちょっとした興奮を覚えるのは、楽譜を見ながらこんな風に弾けたらいいな、と思うことを、この「コンクールの覇者」はピアノという楽器を弾いて実際に聴かせてくれることだ──しかもクリアーなタッチで。

例えば、第1曲の右手の目まぐるしい三連符と左手の低音の衝突が素晴らしい効果を生み出しているし、第7曲における非常な加速は、シューマンの指定「Piu mosso」を十分に生かしたものだ。僕の好きな第8曲も、この技術があってこそ、「この雰囲気」を出せるのだな、と改めて思う。

『森の情景』にしても、まあもともと沈潜気味の楽曲であるわけだが、それにしても『予言の鳥』などで聴くことのできるピアノの透徹した美しい響きは、さすがだと思う。それは弱音を繊細かつ芯のある音で鳴らせるピアニストの「技」に他ならない。

コンクールの覇者は、たとえ彼がプルーストを引用しようと、哲学に言及しようが、基本的に「体育会系」だと暴言を吐いておきたい。




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