- 作者:梶田 叡一
- 発売日: 2014/04/11
- メディア: 単行本
この梶田叡一の『不干斎ハビアンの思想 キリシタンの教えと日本的心性の相克』を読んでハビアンという特異な「日本人」について基本的な情報を得ることができた。メモしておきたい。
”キリシタン時代”をキリシタンの側から生きた日本人
不干斎巴鼻庵(フカンサイ・ハビアン)。本名はわからない。ただ、母親は豊臣秀吉の妻である北政所の侍女だったという。ハビアンは大徳寺で禅僧として修業をしていたが、19歳のとき、その母親に従いキリシタンになったという。時代はフランシスコ・ザビエルの来日から34年が経過しており、各地にキリシタンの拠点が出来あがり、大名や有力武将もキリシタンなっていた。ハビアンは日本で宣教を行っていたイエズス会に入り、大阪のセミナリオ、長崎のコレジヨでヨーロッパ式の学問を修める。そして正式なイエズス会員になり、修道士(イルマン)になる──ハビアンは「キリシタン側の」トップクラスの著述家、説教師、弁舌家として活躍する。キリシタン版の『平家物語』『伊曽保物語』の編纂にも携わる。
「もし私の述べたことに反対する道理があるなら、それを言ってください。私は喜んで皆さん方の言葉を聞いて皆さんがたを納得させませう」
ハビアンはキリシタン擁護の論陣を張っていく。仏教側の学僧たちを相手に宗論(教義論争)を行っていく。秀吉は「伴天連追放令」をすでに出していた。負けられない。そんなハビアンの説教の様子をイエズス会と対立関係にあったフランシスコ会の宣教師ムニュスは以下のように記している。
日本の文学や仏法に明るいという噂のハビアンと称するエルマーノ(修道士)が彼らに説教をしました。彼はまるで使徒のように巧みにし、釈迦や阿弥陀の仏法および分裂している諸宗派の述べる説教をきわめて雄弁、容易におこなったので、参列していた仏僧でさえ自分たちより上手な説教を彼の口より聞いて驚きました。それから雄弁に仏法を批判したので、当然それは迫力に満ち、大きな成果を挙げ、聴衆は自分たちの心に混乱を生じながら感嘆し、学識のある仏僧はなおさらのことでありました。なぜなら彼が堂々と「もし私の述べたことに反対する道理があるなら、それを言ってください。私は喜んで皆さん方の言葉を聞いて皆さんがたを納得させませう」と言ったからであります。
「一六〇七年のムニヨス報告書」(佐久間正 訳、吉川弘文館『キリシタン研究 第11輯』)、『不干斎ハビアンの思想』より再引用)
かつて仏僧であったハビアンは言わば仏教における「中の人」(ネイティブ・インフォーマント?)でもあった──その仏教の「理論」を知ったうえで、そこにキリスト教およびヨーロッパの知で武装する。
同時期、ハビアンは朱子学者の林羅山(道春)とも論争をしている。後に江戸幕府の体制イデオロギーの代表的人物となる羅山はハビアンとの教義論争を『排耶蘇』として記録している──梶田叡一が確認しているように、この羅山のテキストは「羅山が理解できた限りにおいて、また自分が勝ったと思う部分だけの」論争の記録であることを認識しておく必要がある。むしろルネサンスによって興隆したヨーロッパの地理学、天文学、物理学などの当時の最先端の「知」に触れていたハビアンにとって「羅山の無知さ素朴さは説明しようとする意欲さえ失われるものだったのではないだろうか」と著者は記す。その一例を挙げておこう。
【問答5】羅山は引き続き、「天主(デウス)が天地万物を造ったと言うが、その天主を造ったのは何者なのか」と問う。ハビアンは「天主には初めもなく終わりもない」と言う。これに対して羅山は「天主が天地を造ったと言いながら、その天主には初めも終わりもないという言いかたは明らかに逃げ口上でしかない」とする。
これは、理屈からすれば、羅山の言うとおり、という面もある。しかし、どこかに最初の創造者を想定しないと、造ったものと造られたものの連鎖が、無限に続いていくことを想定しなければならなくなる。それもまた理屈からいって不条理であるということで、キリスト教神学では、古来、アリストテレスの〈第一原因〉の概念を援用して、創造主=神はその〈第一原因〉に該当するものである、としてきた。
(……)
ハビアンはセミナリやコレジオの教育を通じて、アリストテレスの哲学を学んできたわけであるから、〈第一原因〉としての天主(デウス)について、きっとここで説明したに違いない。羅山が一切そうした説明内容に触れていないのは、アリストテレスの哲学に代表されるような論理には馴染めなかった(=まったく理解できなかった)ということかもしれないし、あるいはヨーロッパ的な「論理」を初めから(感覚的に)受けつけることができなかった、ということかもしれない。
『不干斎ハビアンの思想』p.89-90
これほどまで尊い教え、天地の御主のまことの御法であるならば、もっと早く日本へも伝わり給うべきことでありますのに、どうして遅く伝えられたのですか。
1605年、イルマン・ハビアンはキリシタン教義の入門書『妙貞問答』を執筆する。林羅山との問答の前年である。また、徳川家康が天下人となり、キリシタンに対する社会的な逆風が強くなっていた時期でもある。
『妙貞問答』は上巻で当時の日本社会において支配的であった仏教を排撃、次に中巻で儒教と神道を排撃、下巻でキリシタン教義の解説をおこなう。石田光成側に立って戦死した武士の妻で出家した妙秀尼がキリシタンの外部の立場から質問をし、キリシタンの立場を取る幽貞尼がそれに応える。妙秀は幽貞との問答を通じて仏教、儒教、神道の誤謬を知り、キリシタンの教えの「正しさ」に導かれていく。対話を通じて妙秀尼は改心して述べる「お尋ね申し上げましたことに一つ一つお答えくださいました理(ことわり)は、どれも滅多にありえない殊勝なことと存じましたので、今は早く教会へ私をお連れ下さい」と。
インヘルノの天狗
『妙貞問答』では万物の創造主である唯一のDs(デウス)──始まりも終わりもなく、最高の存在で、霊的実体で、全知全能で、慈悲と正義の主である──が存在することを中心に「キリシタン的コスモロジー」が語られていく。Dsはアダン(アダム)とエワ(エヴァ)を作りパライゾ・テレアル(地上楽園)に置いた。だが、天魔がパライゾ・テレアルに忍び込んでアダンとエワを騙して悪い道に引き入れてしまった。
善人の行く善所は、天の重ねを十一天に作られた時に、その十一天に定められて、パライゾと呼ばれ、アンジョ(天使)が無数に居る。これは日本の言葉では極楽という意味であり、人のアニマが扶かるというのは、ここでアンジョと同じ楽しみを受ける、ということである。仏教の誤った教えとは違うことを理解していただきたい。このパライゾでは、Dsを拝し、アンジョを友とし、永久に安楽が全うされるのである。キリシタンの教えに従うならば、このパライゾに至ることは疑いないことである。
インヘルノと呼ばれる地獄は、もともとの起こりは、Dsが美しく融通無碍なアンジョを無数に作られ、Dsの位だけは望んではならないという唯一の誡めを与えられたのであるが、アンジョのなかのルシヘルというものが、高慢心にかられ、仲間のアンジョを誘ってDsの位に就こうと背いたので、その一党を天上から追い落としてこの地中の獄所に押し込め、毒寒毒熱の苦しみを与えたことに始まる。この元アンジョたちが天狗(悪魔)である。人間も現世でDsの教えに従わず、悪逆無道のおこないをする者は、ここに落ち、永遠に悪魔と同じ苦しみを味わうことになる。ここに行かぬためには、キリシタンになって、その教えに従うことが最も大切である。ついでにいうと、神仏による神変不可思議なことというのは、この悪魔が愚かな人間をたぶらかして尊敬を得ようとしておこなうものである。
p.45
大善女マリアとゼズ・キリシト
幽貞尼はさらに妙秀尼に説明する。人祖アダンとエワの罪とその贖罪のためにDsは御子ゼズ・キリシトをこの世に送った、と。
ゼズ・キリシトは、帝王ダビツの子孫である大善女マリアが、一生貞潔でおられたところ、その胎内に夫婦の交わりなくDsの御力を持って宿り、人の世に生まれ、罪を滅ぼし善に生きるため、償いとして苦しみを受け、死んで三日目にまた元の身体に甦り、その後四十日で御昇天された。このこと以来、また人間の扶かる道が始まったのである。その弟子たちのうち聖務の長をサン・ペイトロといい、代々の跡継ぎをパッパと呼んで、キリシタンの本国イタリアのローマという都に本山を立て、かのサン・ペイトロから現在のパッパ・ケレメンテまで二百五十代、嫡嫡として相承けて絶えたことがない。
p.47
しかしハビアンの「キリシタン入門書」においてイエス・キリスト(ゼズ・キリシト)の役割はさほど重要視されていない。何よりもDsが主役なのである。イエスの教えは言及されず、三位一体の教義も出てこない。アニマ・ラショナル(理性的霊魂)を持つ人間が、人間だけが、Dsによる死後のパライゾとインヘルノという賞罰を受けることが強調されている。Dsは人間に「十か条のマンダメント」を授ける──十のマンダメントを保てば、現在も安らかであり、後世もパライゾ行疑いなしである、と。
マテオ・リッチを読んでいた林羅山の「国家安康」
ハビアンの「三位一体」に対する態度──理解に及んでいなかったということが林羅山との問答にも表れている。「理は天主と前後があるか」(理と天主はどちらが根源的であるのか)という羅山の問いに対するハビアンの答えは贔屓目に見ても見劣りがする。この問いは、中国で活躍したやはりイエズス会士であったマテオ・リッチ(利馬竇)の『天主実義』を踏まえたもので、羅山は漢訳されたこの著作に目を通していた。
羅山の問いに「天主は体であり、理は用である。体は前であり、用は後である」とハビアンは応える。羅山はその場にあった器を指して「器は体であり、器を作る理由となったものは理である。もしそうであるとするならば、理が前にあって、天主は後である」と述べる。「器を作ろうという一念が起こるところが理である。この一念が起こる前は、何も考えないまま(無想無念)であるが、体はある。だから体は前、理は後である」とハビアンは言う。羅山「それでは駄目だ、無念などということは言わないで、理と天主とのことだけを言えばいいのだ」。
著者の梶田叡一は「理は天主と前後があるか」という問いで思い起こすべきものはヨハネ福音書の最初の部分ではないかと述べる。”初めに言(ことば)があった。言(ことば)は神と共にあった。言(ことば)は神であった。この言(ことば)は、初めに神と共にあった。万物は言(ことば)によって成った。成ったもので、言(ことば)によらずに成ったものは何一つなかった。”
ヨハネ福音書のいう「言(ことば)」こそ、朱子を初めとする儒学諸派の言うところの「理」に相当するのではないであろうか。もしそうであるなら「理=言(ことば)は天主(神)と前後があるか」という問いには、キリシタンは「前後はない」と答えるべき、ということになるのではないだろうか。さらに続けて言うならば、「天主を父なる神と考えるなら、それは理と本体としては同一であり、ペルソナ(位格)の点で違いがあるだけ」と言うことになるのであろう。これは、カトリック教義の最も根底にある〈三位一体〉の考えかたである。
p.93
ハビアンは三位一体の教義に思い至らなかった。唯一絶対の創造主としてのデウスを説くばかりで、キリストと聖霊について説かれていなかった。それが当時のキリシタン教義の基本構造だった。
付け加えておくならば、林羅山は大阪の陣の引き金になった方広寺鐘銘事件──銘文の「国家安康」「君臣豊楽」を徳川家康の家と康を分断し豊臣を君主とする呪いだと解釈──に加担している。
”ファビアンは最近出版した反キリスト教的な著書のなかで、ディオスとその全善、摂理に対して邪説と冒涜に満ちた言辞を述べた。もし人間の悟性がディオスを理解し得るとすれば、ディオスはディオスでなくなるであろう。”
不干斎ハビアンは1608年に棄教する。幕府の全国的な禁教令が出されるのが1614年なので本格的なキリシタンへの迫害が起こる以前のことである。そして十数年の沈黙の後、1620年にキリスト教の信仰および宣教師のありかたを徹底的に批判した『破提宇子』を公にする──ハビアンの死の前年である。「一旦豁然として識得するに、言を巧みにして理に近づけ、教ゆるに真すくなし。しかうしてかの徒を出づるなり」。
キリシタン側の代表的知識人として知られていたハビアンは、突如キリシタン・コミュニティから離脱し、その後に今度は手厳しいキリシタン排撃者として再び姿を現す。ドミニコ会宣教師オルファネールは、そんなハビアンを、反キリスト教的な著書『破提宇子』を公刊し、「測り知られざるものを測り、終わりなきものの終わりを見出し、言語を絶したディオスの問題を悪しざまに罵倒しようとした。彼は堕落して遂に背教し、信仰を捨ててふたたび偶像崇拝に立ち帰るに至る」と怒りも露わに記録する。
Dsはだれが頼み、だれが雇うこともないのに、量ることのできぬ無数の人間をつくって地獄に堕し、永久に尽きることのない苦しみに苦しみを重ねさせる。
「かの徒を出づる」と決意したハビアンは、『破提宇子』において「真すくなし」とするキリシタンの教えを順次批判していく──かつて彼自身が攻撃した仏教や儒教などの中国思想を引き合いに出し、さらにそのときに用いたヨーロッパの「合理主義」の知見を今度は批判対象をキリスト教に向け変えて。どうしてダイウスの徒(キリスト教徒)だけが、天地開闢の主を知った顔に、くどくどしくこのわけを説くのであろうか──〈何かが存在すれば必ずその存在を創造した存在(創造主)が有るはずだ〉に対して〈存在するものは存在する、必ずしもそれを創造した実体的な何かを想定する必要はない〉とオルタナティヴな概念を提示する。
たとえ創造主を認めたとしても、それではなぜ、ルシヘル(ルシファー)は地獄に堕してしまったのか──過去現在未来にわたる明達の全能のDsは、かのアンジョを科に落ちないように、どうして作らなかったのか。科に落ちるのをそのままにまかせて置いたのは、無数の天魔を作ったようなものだ。それが天主の理なのか。
同様に、人間の楽園追放とそれに基づく人類の原罪は、理にかなったことなのか──Dsは悪魔のルシヘルを作り置くばかりか、それがアダン、エワをだすま時にお護りもなされず、甘柿ごときを食べただけでパライゾから彼らを追い出した、のみならず全ての人間を罪人にした。どこが全知全能で慈愛に満ちたデウスなのか。天戒という名は尊いようであるが、戒律できめるものが、マダンの菓子という甘柿のようなものを食べるなということであるなど、笑いぐさである、と。全知全能の神をめぐる論難はどこかスコラ学めいている気がしないでもない。
こういった教義だけではない、と、ハビアンは誰でも知っている「事例」を実証的に突きつける──キリシタン大名はすべて没落してしまったではないか、キリシタンたちはみな不幸な最後を遂げたではないか、と。『破提宇子』が公刊された時期はすでに幕府の禁教令が布告された後でキリシタンへの迫害は本格化していた。
告白(コンヒサン)の魔法
書き記されている教理だけではない。批判は伴天連やキリシタン教団の行動規範にも向けられる。勤行(ミサ)において南蛮煎餅のようなものに要文を唱えれば、それがゼズ・キリシトの肉になり、同様に葡萄の酒がゼズ・キリストの血になることなど、とても人の信用できないことである──聖体に神が真に現在することなど認められない。ハビアンはここでは、ほとんどプロテスタントになっている。
ハビアンは「コンヒサンの時は他人を近づけず、自分と伴天連だた二人で相対し、山賊や海賊などをはたらき、もしくは父を殺し母を殺す五逆の罪、国家を傾けようとの謀反、反逆などの大きな犯罪であっても、残らず懺悔すると、伴天連はこれを聞いて、赦しを与えるとその罪が消滅するという」と述べる。そして「そうだとすると魔法である。国家をくつがえすほどの大反逆罪をも伴天連が聞いて赦せば、その罪が消滅すると教えるのは、科を犯しても差しつかえないものだと弘めるのと同じである。」
p.127-128
キリシタンの教え自体に疑義をもたらす伴天連同士の勢力争いと醜い抗争を見せつけられる一般信徒の困惑
ザビエル来日からほぼ30年、日本でのキリシタン布教はイエズス会が独占していた。その姿から潤沢な資金を持ち「エリート的」とも映るイエズス会の宣教師に対し、その後「乞食修道会」ともいわれる清貧を宗とするフランシスコ会の宣教師も日本での布教を開始する。しかし、ハビアンら日本人の目に映った彼らの本性は、それぞれの党派が互いに勢力争いを続け、派手な喧嘩口論を繰り広げているようにしか見えなかった。
こうした宣教師たちの姿は、彼らの口にするキリシタンの教えに根本から反するものとして、ハビアンには受け入れ難いものであったろう。また、長くイエズス会の身内にあったハビアンとしては、宣教師たちのこうした抗争的な姿は、一般の日本人の目にどう写るかということも含め、恥ずかしいことであり、苦々しいことでもあったに相違ない。
ハビアンは、こうした争いの底にあるのは、結局のところ宣教師たちの高慢さであると言う。そしてこの高慢さは、彼らに謙虚さが欠けているというかたちで現れているという。自分だけが優れているとして独善的に振舞い、思い上がりから他を軽んじてすぐに口論し喧嘩する、という姿に対する告発である。
p.150
しかもそのような宣教師たちの振舞いは、はたして本当にその者たちが「他人にそう見せているように」無欲で慈悲を基本としているのか──信徒に対しては、そのように勧めている者たちが、である。これは一般信徒にマルチル(殉教)を教え説く宣教師たちの姿を「観察」すればわかるであろう。「我々は安定を望まない、それが……だ」というような規範を他人に平然と押しつけるような者の、その者自身が行使している権力性、その者自身が得ている数々の特権を「観察」することによって──それは、かつて、そこにおいて、「中の人」であった「心ある者」の義務でさえあるかのように(ネイティブ・インフォーマント?)。もしかして、それは、「宗教改革」の可能性をも秘めていたのではないか。
キリシタン宗門の内部にあって、外部に対してキリシタンが優れていること正しいことを説いていた時には、こうした思いが頭をよぎったとしても、否認し抑圧し、あるいは合理化して、自分の意識世界から追放してきたことであろうが、いったん宗門の外に出てしまえば、素直にそうした違和感を意識し直し、「批判」として概念化していったものであろう。
キリシタンの宣教師がこれほどまでに人間的な醜さを孕み、またキリシタンの依拠する神話的世界がこれほどまでに非合理的で非理性的なものであったことに、あらためて驚きを感じたのではないか、と想像される。
p.158-159
そこから「教師」を制度的観点からではなく、福音の説教によって見直していたら。その「教師」を「教師」たらしめる制度そのものを教説に従って見直していたら。その共同体によって選ばれたのではなく、外的権威によって共同体に押しつけられた「教師」とその背後にある「制度」に目を向けていたら……。「宗教改革」はこの地でも起こっていたかもしれない──起こるべきなのかもしれない。
ハビアン批判の党派性
不干斎ハビアンという人物についての現在の評価は毀誉褒貶が著しい。キリスト教の側(とりわけ現在のカトリック教会の側)からは、ほぼ黙殺されてきた。むしろハビアンが反キリシタンの立場を取ったことを取り上げ、それに対して侮蔑を露わにする。
三浦朱門の「ファビアン不干斎──あるエセインテリの生涯」という文章がその典型的である。そこでは、ハビアンの生涯を描きながら、その都度、ことあるごとに「えせ」インテリの肖像としてハビアンという人物を軽蔑的に描写する。取るに足らない人物として。
海老沢有道の態度はそれと比べると別のレベルにある。海老沢はハビアンの『妙貞問答』と『破提宇子』を紹介した研究者である。その彼のハビアンに対する批判は、ハビアンがキリシタン教義について無理解であり(同時にハビアンが批判した仏教においても)、実のところ信仰を持たなかった「非宗教的人間」だったということである。しかしそう断定できるのか。確かにハビアンには先に触れたように三位一体などの理解におぼつかないところがあった。しかしそれは現在の視点から、当時の日本におけるキリシタンのキリシタン教義(神学)の理解を論難していることになるのではないだろうか。ハビアンの信仰が内面的に「深い」ものでなかったということから、そうであるならば、当時の他のキリシタンたちが(当時の宣教師の信仰も含め)、内面的に「深い」ものであったことを前提にして議論を進めていないだろうか──ハビアンのように棄教せず、マルチル(殉教)を選んだ者たちはキリスト教を「より深く」理解していたのだろうか、むしろ彼らは「日本的な」従順さによって、「日本的な」メンタリティゆえにデウスのために名誉ある死を望んだのではないだろうか。
(海老沢のハビアン批判は)自分自身を、宗教的信仰的に高い存在にある者である、と暗黙のうちに誇示し、「上から目線」で、ハビアンがいかに低次の存在であるかを居丈高に、そして勝手気儘に断罪しているような印象を受けないではない。
(……)
これは現在でもよく見られる光景であり、一部の宗教団体や政治団体から、敵対陣営の側に付いたかつての自陣営有力メンバーに対して浴びせ掛けられる悪罵と同様である。公正で理性的な知的営為であるはずの学問的叙述の装いの下にこうした主張をすることは、学者としての自殺行為といわざるをえない。
p.172
そしてこのことは、かつて教会側が、教会の権威を揺るがすような学者の説に対して「異端と親和性がある」として一方的な断罪を下した様々な「事例」を思い出さざるを得ない。
「自分はカトリック信徒を増やす布教活動をかなり前からやらないことにしている、誰かをカトリック信徒にすることによってその人を不幸な人生に導くことになるから」
梶田叡一は、宗教的帰属=宗派意識にとらわれず公平かつ中立的な目でハビアンに言及しているとして山本七平を評価する。山本はプロテスタントである。彼は『日本教徒』や『受容と排除の奇跡』においてハビアンを「その時代の最高の知識人である」と述べている。山本七平(イザヤ・ベンダサン)は不干斎ハビアンこそ「日本教徒」という言葉を造語させた一人であり、『日本人とユダヤ人』の中で次のように記す*1。
日本人は日本教徒などという自覚は全くもっていないし、日本教などという宗教が存在するとも思っていない。その必要がないからである。しかし日本教という宗教は厳として存在する。これは世界で最も強固な宗教である。というのは、その信徒自身すら自覚しえぬまでに完全に浸透しきっているからである。日本教徒を他宗教に改宗さすことが可能だなどと考える人間がいたら、まさに正気の沙汰ではない。この正気とは思われぬことを実行して悲喜劇を演じているのが宣教師であり、日本教の特質なるものを逆に浮彫してくれるのが「日本人キリスト者」である。
日本社会におけるキリスト教徒の全体数はカトリック、プロテスタント諸派を合わせて公式の数字で100万人以下(人口比1%以下)、日曜日に教会に行くような「実質的」な信徒は20万人程度(0.2%以下)でしかない。絶対的なマイノリティである。しかし韓国ではキリスト教徒の総数は1000万人を超えて全人口の30%近くになっている(カトリック人口だけで400万人)。イスラム教の国であるイラクでもカトリック教徒だけで全人口の1%を超えており、インドネシアでも全人口の3%がローマ・カトリックであるという。
梶田叡一は外国人宣教師として日本の大学の教師などをしている人の嘆息ともとれる証言をこの著書の終章で書き記す──”自分はカトリック信徒を増やす布教活動をかなり前からやらないことにしている。それはカトリックの公的立場のなかに非理性で反人間的な部分があり、誰かをカトリック信徒にすることによってその人を不幸な人生に導くことになるから”
上記は、「キリスト教」、「キリスト教徒」をそれぞれ「クィア理論/クィアスタディーズ」、「クィアなんちゃら」に置き換えることを念頭にして書いた。
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*1:『不干斎ハビアンの思想』より再引用