ブレット・イーストン・エリス(Bret Easton Ellis、1964)といえば、『レス・ザン・ゼロ』が好きだった。ストーリーよりも、あの雰囲気。何も起こらないことへの不安。曖昧な罪の意識。
ああ、哀れなる紳士よ
若き日の面影はすでになく
零落した敗残の身をさらすのみ──ジョン・フォード『失意』
ドナ・タート『シークレット・ヒストリー』(吉浦澄子 訳、扶桑社ミステリー)下巻より p.445 *1
Less Than Zero Trailer (1987)
図書館にこもり、ジェームズ王朝の戯曲にどっぷりと浸りこんだ。ウェブスターやミルトン、ターナー、フォード。一般にあまり知られていない分野ではあるが、蝋燭の明かりに照らされた裏切りの世界──罪は罰せられず、罪なきものは滅ぼされる──に私は惹きつけられた。戯曲のタイトルからして挑発的で、タイトルを見ただけで、すっと美と悪の世界に引きこまれたものだ。『不満』『白い悪魔』『失意』私はのめりこみ、欄外に書きこみをした。
ジェームズ王朝時代の戯曲はすべて悲劇的結末で終わる。作家たちは悪ばかりでなく、悪が善としてあらわれる巧妙なやり口にも深い理解を示していた。ものごとの本質、この世の本質的腐敗にずばりと切りこむ鋭さが小気味よかった。
とりわけ好きなのはクリストファー・マーローで、ふと気がつくと、よく彼のことを考えていた。「カインド・キット・マーロー」同時代人からはそう呼ばれていた。学者にして、ウォルター・ローリーやナッシュの友人、才人ばかりが集う大学のなかでも最も頭脳明晰で深い教養の持ち主。文学、政治、どちらの分野でも最高の人々と付き合った。同時代の詩人のなかでシェイクスピアが暗にその名をほのめかしているのはマーロウひとりきりである。しかも彼は偽造者であり、殺人者であり、当時もっとも自堕落といわれた男であり、二十九歳のとき料亭で「不敬の言葉を吐き散らしながら死んだ」男であった。当日、同席していた友だちとは、スパイに掏摸、それに「下品な男」であったという。そのうちのひとりがマーローの目の上を刺して殺したのだ。「その傷でマーローは即死した」
『フォースタス博士』に出てくる次の文章がよく頭に浮かぶ。
ご主人はまもなく死ぬつもりだと思う。
ありったけの財産をこのわたしにくれるのだから……
ドナ・タート『シークレット・ヒストリー』下巻 p.453-454 *2
[関連エントリー]
*1:
*2:ドナ・タート/Donna Tartt の『シークレット・ヒストリー』はブレット・イーストン・エリスに捧げられている。